「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか?

この記事は情報量が多くて理解しづらいので、補足説明記事を書きました。こちらから読んだ方が、理解しやすいかもしれません。

解説:「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか?

 


 

今日はメンタリストDaiGoさんの炎上について書きます。炎上ムーブメントに乗っかりたいわけではなく、小山田圭吾さんの問題を通して考える「差別」「人を理解すること」「問題の本質」などを、DaiGo(以下敬称略)の騒動を通して、異なる角度から説明したい意図があります。

 

彼の炎上内容については、検索すると山ほどニュースが出てくるので説明は省略しますが、

 

①炎上発言(削除済み)

②批判に対して反論(削除済み)

③反論が火に油を注ぎ込む結果となり謝罪(削除済み)

④謝罪内容を痛烈に批判されて再謝罪 ←イマココ

という流れになってます。

 

最初は、

 

(自分は)税金をたくさん納めている」などとして、「僕が払ったたくさんの税金は、他の人よりも比率が高いから、生活保護だったりだとか、ホームレスとかの保護に回る可能性が非常に高い。だから(アンチよりも)僕助けてますんで参照

 

と反論していたDaiGo氏ですが、謝罪〜再謝罪に至ったのは以下2件が理由のようです。

①「一般社団法人つくろい東京ファンド」から出された緊急声明。

 

②ホームレス支援をしているスポンサーからの抗議。

 

ということなんですけど、私が問題提起したいのは以下3点です。

 

【1】DaiGoの「発言そのもの」への責任追求は無意味

【2】それよりもDaiGoの過去の仕事について詳しく知るべき

【3】小山田とDaiGoの問題点の相違はハッキリと区別認識できなければならない

 

この記事は【1】のみの解説です。

 

今回、ちょっと頭を使う記事かもしれません。理解しやすいように、先に結論的なものを提示しておきます。

 

1. ものごとの因果関係を突き止めるのは想像以上に難しいです。

2. 不特定多数へ向けた言葉から深刻な心の傷を負うとは考え難いです。

3. 言葉は受信側によって善悪が変わってしまいます。

4. となると、言葉だけで善悪を裁くって、本当に正しいことなの?

 

こんな流れから、タイトルの「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか?の理由を述べていきます。具体例がないと腑に落ちないと思うので、さまざまな事例を出しながら説明するため長くなります。

 

時間のある時にじっくり読んでください。そして真剣に考えてみてほしいです。

 


 

—目次—

キャンセルカルチャーはヘイト運動

「発言そのもの」への責任追求は無意味

言葉と被害の因果関係が全く示されない

世の中は因果関係を単純に考えすぎ

人が深く傷つくのは「自分だけに」向けられた言葉では?

人が深く傷つくのは「無自覚」に放たれた言葉では?

受信側によって言葉の善悪が変わる

自分の被害者体験と重ねて糾弾はダメ

因果関係は何事も単純ではない

まとめ

 


キャンセルカルチャーはヘイト運動

前提として知っておくべきことから始めます。キャンセルカルチャーが何か分からない方は、この橘玲氏の短い記事をご一読お願いします。

 

 

以下に一部抜粋します。

 

“キャンセルカルチャーとは、有名人などの差別発言や過去の問題行動を洗い出し、ネット上で激しく批判し、存在を「キャンセル(抹消)」しようとする活動のことだ。”

“世界で進行するリベラル化の根底には、「すべてのひとが自分らしく生きられる」社会をつくるべきだという価値観があります。当然のことながら、「わたしが自由に生きる」なら「あなたも自由に生きられる」権利を保証しなければならない。この相互性・普遍性がリベラリズムの基礎で、現代社会では、人種や民族、性別、国籍、身分、性的指向といった自分では変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されなくなりました。これが「政治的な正しさpolitical correctness」で、PCとかポリコレと呼ばれます。”

“世界がますますゆたかになるにもかかわらず、私たちが生きづらさを感じているのは、社会や人間関係がとてつもなく複雑になり、管理できなくなっているからです。リベラルなひとたちは、リベラルな改革によってこの問題を解決しようとしていますが、これは論理的に矛盾していて、リベラル化による「価値観や利害の衝突」が生きづらさの原因なのですから、「改革」が進めば進むほどますます事態は悪化していきます。”

“もうひとつ、あまり指摘されませんが、「過去の行為は(どれほど謝罪しても)未来永劫許されない」というのは、隣国が主張している「被害者中心主義」そのものです。キャンセルカルチャーは歴史問題ともつながっていて、これは日韓・日中などの東アジアだけでなく、今後、奴隷制や植民地主義もすべてこの「被害者中心主義」によって再検証されることになるのだろうと思います。”

 

小山田圭吾もメンタリストDaiGoも、ここで説明される「あらゆる差別を許さない時代が生み出したキャンセルカルチャー」の被害者です。

 

・小学生時代のいじめ(文面から察するに深刻なものではない)

・中高生時代にいじめを傍観していたこと(深刻ではあったが小山田さんが行ったことではなさそう)

・私にとってはホームレスより猫の命の方が大事だと発言すること

 

これらは一般人がそこらで発言してもせいぜい嫌われる程度のことで、仕事を奪われる事態には至りません。

 

しかし有名人がネット上で発言し記録が残ってしまうと、存在を抹消しようとする動きが出てきます。そして何年経っても蒸し返されます。これがキャンセルカルチャーであり、リベラリズム、ポリコレ、被害者中心主義によって支えられています。

 

これは憂うべき事態です。「すべてのひとが自分らしく生きられる社会」を目指し、社会的弱者が差別や攻撃から守られる社会を目指していたら、そのルールに反するものが徹底的に糾弾される社会が出来上がりました。この糾弾が愛や思いやりに基づいているなら良いのですが、ヘイト感情に乗っ取られた現象であることは小山田圭吾さん関連のブログで説明してきた通りです。

 

「正義の味方ごっこという名のエンターテイメント(娯楽)である」という見方も正しいです。上記の橘氏の記事も参考にしてください。「被害者の気持ちガー!」と声だかに叫ぶ方々は愛を動機に行動しているのではなく、快楽と憎しみに支配されて暴走しています。

 

ここまでは、現在起きている著名人の炎上を理解するための大前提の話です。世界はリベラル化、ポリコレ、被害者中心主義へ突き進みますから、まだ腑に落ちていない方は、理解すべきことだと思います。

発言そのものへの責任追求は無意味

小山田さんの件にしても、DaiGoの件にしても、取り上げられている「いじめ発言」とか「差別と考えられる発言」の倫理的妥当性を問うことばかりが行われています。でも、それってあんまり意味ないんじゃないの?と私は言いたいです。

 

いじめと言われるものは、個別のケースで全く中身が異なります。ただのじゃれあいから、犯罪レベルのいじめ、いじめられっ子の被害妄想レベルまで多様です。また同じ行為でも、やられる側の受け取り方によって意味合いが異なります。ダンボールに閉じ込められたことをトラウマと設定して一生他人を恨み続ける人もいれば、全く気にしない平気な人もいれば、悔しさを糧にして強くなっていく人もいます。

 

従って、いじめ発言を「言葉そのもの」だけで善悪を評価することは困難です。現在のことならまだしも、何十年前の過去のことだとしたら、加害者と被害者双方の記憶に基づいた証言も、正しいかどうかは相当怪しくなります。

 

とにかく「いじめっぽいもの」は倫理的に全部ダメだというなら、例えばのび太とスネ夫とジャイアンの友情は一切認めないという話になります。しずかちゃんは度々傍観者になっているので批判対象となり、のび太は常に正当化されます。それって本当に正しいことでしょうか?

 

いじめた側、傍観した側が何を考えていたかを「喋るだけ」で糾弾すると、彼らの心理を他人が知る機会が奪われます。そうなってしまうと、異なる性質を持つ人間同士が相互理解に到達するチャンスが奪われます。

 

「(笑)」という文字を多用したので「嘲笑している!」と非難するとか、無意味を通り越して馬鹿げています。嘲笑の他に、失笑、苦笑い、自虐などの意味合いも想定できるのですから。

 

 「必要のない命は僕にとって軽い」「私にとってはホームレスより猫の命の方が大事」は、公の場でよく言ったよなとは思いますが、ここまで非難されることだとは私は思いません。皆さんも、自分の家族とか、好きな人の命は大事でしょうけど、嫌いな人や、自分に関係のない人々の命は対照的に軽く見ていると思います。

 

全ての命を平等に扱う人など、私は見たことがありませんよ。自分だって違います。「ホームレスの命はどうでもいい」に憤慨する人達のほとんどは、街でホームレスを見ても素通りするだけです。

 

単純思考で「悪そうな発言」をすぐに断罪しようとすることに、何か意味があるように思えません。倫理的妥当性の是非を考えることは、想像以上に難しいことだと考えた方が良いと思います。

言葉と被害の因果関係が全く示されない

「発言そのものと、加害、被害の因果関係」が全く示されないことも、言葉だけで責任追求することに意味がないと思う理由の一つです。

こちらはホームレスのルポ・ライターさんと現・ホームレスさんの会話ですが、ネット住民の想像とは異なる現実が見えてくるはずです。

 

DaiGoが批判対象として主にイメージしていたのは、このような生活保護受給者であったと思います。これが「皆さん、ホームレスのために税金を払いたいですか?」という発言につながってます。

 

この状況に対して、「すべての人の命は等しく尊重されるべきであるという近代社会の前提を棄損する発言を私たちは絶対に許してはなりません。」と、つくろい東京ファンドが声明を出しているのですけど、話が噛み合っていないですよね?会話と解釈が一方通行なんです。

 

社会に影響力を持つ者が人を死に追いやりかねない発言」と何の疑いもなく稲葉剛氏(つくろい東京ファンド代表理事)は仰られていると察しますが、DaiGoの発言がホームレスを死に追いやる可能性は非常に低いと思いますし、強い因果関係を立証できないでしょう。(DaiGoに怒るホームレスの方々は当然いらっしゃると思いますが)

 

逆に、ますますポリコレ・リベラリズムが勢いを増し、結果として表面的で息苦しい社会が形成される可能性は強く示唆されます。これは実際にネット上でポリコレ・リベラリズム的な誹謗中傷の嵐を確認できますから、稲葉氏の発言との因果関係は存在すると言えそうです。

 

小山田さんの件も全く同じで「いじめられていたとされる当事者(沢田、村田)がどう思っていたか全く不明」なのに、「被害者の気持ちガー!」「二次被害ガー!」「セカンドレイプダー!」と外野が凄まじいヒステリーを起こしています。

 

しかしロッキングオンジャパンとクイックジャパンのインタビューが90年代に出版された後、いじめが増えた、読者によるいじめが発生したという証拠の提示を1件も見たことがありません。小山田問題についてとことん調べていますが、因果関係の立証とまで言わずとも、小山田さんと出版社のせいでいじめが助長されたと「多少は示唆できる程度の証拠」すら1件も見たことがありません。

世の中は因果関係を単純に考えすぎ

90年代に「完全自殺マニュアル」という本がベストセラーになりました。タイトル通り、自殺の方法と、どの程度確実に死ねるか、どの程度苦しむことになるか等が徹底解説されています。

 

結論として、首吊りが最も楽に確実に死ねそうだと分かります。すると、苦しまずに死ねると分かった人々が、次々と自殺していくのでしょうか?

そんな訳ないんですね。

 

完全自殺マニュアルの主たるメッセージは著者のツイート通り、「いざとなったら死ぬ手もあると思って楽に生きていこう」であって、自殺を推奨するものではありません。「楽に生きていこう」と主張しているのですから。

 

私は「強く生きたい」と考える人間なので完全自殺マニュアルにはあまり感銘を受けないし、鶴見氏の考え方には合いなれないところもありますが、彼のような考え方を求めている人がいて、そこに救いを見出している人がいることは、その当時理解できました。

 

自殺のマニュアル=自殺者が増えてしまう!

 

という懸念は、想像力と読解力に欠ける人だけが持つものです。

 

「いじめ紀行」=いじめが助長されてしまう!

 

これも同じです。想像力や読解力が無いので、そう思い込んでしまう。繰り返しますが、いじめ紀行がいじめを助長した因果関係の証拠はかけらも程も示されていません。

 

「(悪口で)相手が自殺しても、オイラになんの関係もないよ!」と歌ってるこの曲の影響で、相手を自殺に追い込むほどの悪口を言う人が増えますか?

 

増えるわけがない。

 

前も載せたやつですけど、

 

「君はとってもブスだから〜♪ 僕と他人のフリをしろ♪」

「意地悪なんかで言うんじゃないよ、本当のことを言っただけ。嘘をつくよりいいでしょう?だって本当に嫌いなんだも〜ん♪」

 

この曲のせいで、他人にブスと伝えて傷つける人が増えるのでしょうか?

 

万が一増えることがあったとしても、それは冗談が通じる友人同士の関係性のなかでしかあり得ないでしょう。この曲の趣旨はブスを誹謗中傷することではなく、(悪ノリであったとしても)偽善に対するアンチなのですから。

人が深く傷つくのは「自分だけに」向けられた言葉では?

ここから九龍ジョーというライターと、とあるフェミニスト・ライターの会話から「傷つける言葉とは何か?」の考察を行います。

 

九龍ジョー氏は、クイックジャパンといじめ紀行のアンチ(批判者)として、吉田豪、北尾修一両氏と共に、小山田圭吾と90年代雑誌カルチャーの光と陰を語るという対談放送(有料)を8月6日に行いました。これを試聴して思うところがあって、レビューを後日ブログに書く予定です。その伏線的な意味も含めて、以下の事例を取り扱います。

これは九龍ジョー氏が、フェミニストの作家である栗田隆子氏に、15年以上も前に容姿(顰めた顔)を笑われた恨みを告白されている様子です。

 

「被害者視点が無い」とクイックジャパンのいじめ紀行を痛烈に批判している九龍氏が、先に紹介した対談の告知をした時、「被害者視点が無いのはあなたですよね?私、15年前に傷ついてるんですけど?」と突っ込まれています。なんとも皮肉な話です。

(クリックすると、会話の全てが見れますので、できれば全部確認したほうが意味がよく分かります。ここに掲載したのは会話の一部です。)

 

相対的に、君はとってもブスだから〜♪とニコニコ顔で歌った石野卓球が、その後多くの女性を敵に回しているという話は、特に聞いたことはありません。(私が知らないだけで、過去に問題になっていたらすみません。)

 

「スッゲー顔」よりも「ブス」の方が容姿に対して傷つける言葉であるような気がしますが、電気グルーヴには変わらず女性ファンが存在し、九龍ジョー氏が長年に渡り恨まれているのは、「言葉だけ」では倫理的な是非を判断できないことを示していると考えてください。

 

九龍氏が栗田氏を傷つけたのは、それが直接的(自分に特定されて言われたの意)かつ完全に無自覚だったからでしょう。

 

「会ったこともない著名人が不特定多数に向けて放った言葉が、長年に渡り自分の心に刺さって傷ついている」などと言う人を私は見たことがありません。

 

ある他者からの言葉に深く傷ついたと嘆く人々の主張は、私がこれまで関わった人々から聞いてきた限りでは、ほとんどは過去直接的に関係を持った人(パートナー、家族、友人、教師、職場の人など)から受けた言葉を嘆いています。

 

このことは、よく考えてみてください。不特定多数に向けたネット上の発言、書籍上の発言に、長年残る激しい悲しみ、怒り、恨みなどを持ったなんて報告は、私は聞いたことないです。

 

私は2020年以降、かなり心に刺さる辛辣なブログを書き続けているのですが、セッションやセミナーにご参加頂く方々と接していると、自分のブログを他人事として読んでいることが非常に多くて悩んでました。何度か面識がある方々でも、不特定多数に向けたブログは他人事として読まれてしまいます。

 

だから「自分のこと言われていると考えて読めよ、コノヤロー!」みたいなことを、ブログ、SNS、メルマガ等で、何度も言い続けてきました。

 

コロナ禍前に現場でセミナーをしていた時も、ブログと似たようなものです。私1人が、多人数に向けて語りかける状態で、私の言葉を自分に言われていると真剣に受け取っている受講生は稀だという印象です。

 

逆に、1対1のセッションは、違います。私の言葉が相手に刺さってしまうので、こっちもその反作用を受け取ることが多かったです。

 

ネット上での会ったことのない他人とのやり取りでも、1対1で深く関わると、言葉が相手に刺さります。これについては実例を後述します。

 

だから、人が傷つくのは「明らかに自分に特定されて伝えられる言葉」だと思います。私自身の記憶を辿っても、間違いなくそうです。

 

じゃあ例えばネットで「いじめ紀行に私は傷ついた…」という人々はなんなのかというと、憂さ晴らしのグチとか、ヘイトだと私は思っています。気に入らないものへの嫌悪感に基づくものであり、本当に傷ついているとは考え難いです。

人が深く傷つくのは「無自覚」に放たれた言葉では?

九龍ジョー氏は、栗田隆子氏へ向けた発言を「記憶にない」と返しています。長期間に渡って人に恨みを持たせるのは、発した側が無自覚で記憶していない言葉であることが、結構多いのではないでしょうか?

 

「いじめた側は覚えていない」って定番の恨みのセリフですからね。もちろん、自覚と記憶がある言葉でも人は傷つくのですけど、自分がこんなに傷ついたのに、相手は自覚さえなかった、覚えてもなかったということに、さらなる怒りが沸くことってあると思います。

 

あと、無自覚な言葉ってブレーキを踏む意識なしに放たれるので、結構キツくなったりします。

 

相対的に小山田さんは、「通常いじめた側(傷つけた側)は忘れてしまうはずなのに、なぜここまで記憶が詳細なのか」と、外山恒一氏も驚嘆するレベルで、事細かに記憶があるのです。

 

この差は、皆さんに深く考えて頂きたい問題です。小山田さん関連の3番目のブログに書いたこと(外山恒一氏のミスリード問題)を、これを踏まえて読み返し再考して頂けると、一度読んで納得できなかった方も、分かるかもしれません。

好意的な関心を持って初めて理解できることがある(小山田圭吾さん91年のインタビューより)

 

いじめ紀行や、電気グルーヴと真心ブラザーズの詩は、不特定多数に向けられ、なおかつ自覚的、意図的に考えられてつくられた表現です。これは覚えておいてください。

 

相対的に、メンタリストDaiGoの発言は、不特定多数に向けられていながらも、視聴者からの質問に答える形でおそらく反射的に、無自覚気味に、しかも編集なしで放たれてしまったものだからこそ、かなりの嫌悪感を与えたものだと思います。

受信側によって言葉の善悪が変わる

引き続き、誰に向けらたか、自覚的か否か以外の視点から「言葉」を考えます。

 

九龍氏と、栗田氏のツイッター上の会話を見て、どっちが悪いなど、あれだけの情報では全く分かりません。しかし九龍氏は、「うわ!スッゲー顔www」と言ってはいけない人物(栗田氏)に言ってしまったことは読み取れます。

 

栗田氏はフェミニストですので、男性の発言に対して厳しいでしょう。

 

私は以前のパートナーと2人で飲食店を営んでいたことがあります。フェミニストの常連さんが1人いました。来店して頂くと彼女とカウンター越しに色々と話をするのですが、特に深い話に至らずとも、何を話しても私は男という条件のもとに基本的に否定され、パートナーは女という条件のもとに肯定されました。

 

そのフェミニストの常連さんは面白い人だったので嫌いではなかったのですが、性別については明らかな差別意識と被害妄想があるなと思ったものです。私は当然不快になりますし、元パートナーは不快にはならずとも、過剰に肯定されていることは理解していました。

 

フェミニストを名乗るとは、公平な思考を持っていないと同義です。リベラリストとか、ベジタリアンと同じでしょう。彼らは善悪を性別、政治的思想、食事などによって、自身の中ではっきりと分類する傾向があります。「◯◯主義者」的なものを名乗る人は、それが何であっても、偏った視点、つまり偏見を持っています。それが良いか悪いかはさておき、偏ったところに思想を置いているのですから、逆の偏りに対して偏見を持っているのは間違いありません。

 

「ある種の言葉」が、そういった◯◯主義者の方々にとっては(または思想的なドグマを持つ人は)、通常は許容されたり、せいぜい不快と感じて終わるものが、義憤を感じさせ、長々と恨みを持つほどのNGワードになります。

 

固有の思想やライフスタイルを選択する人はいつの時代にもいますから、誰も怒らせない、誰も不快にさせない発言を求めるのは、いつの時代であっても厳しいものがあります。今はリベラルの時代ですから、尚のことです。

 

現実的には「うわ!スッゲー顔www」と男性から言われても、うまいこと返し、盛り上がるネタとして使える女性もいるはずです。「汁男優」の話も、セックスやAV業界に興味がある女性であれば、むしろ積極的に話に参加したり、参加できなくても興味津々で聞いているでしょう。

 

リベラリストにとっては、差別的な言葉の全てがNGで、「いじめ紀行」などもってのほかです。

 

ベジタリアンにとっては、「動物を殺す」ことに関わる全ての表現がNGとなります。

↑これは菜食主義と絡めて2015年に書いた記事ですが、ここ最近書いているテーマを「殺す」という視点から理解を深められる内容だと思うので、読んでもらえると嬉しい。

 

「スッゲー顔w」

「汁男優の話」

「君はとってもブスだから」

「相手が自殺してもオイラには関係ないよ」

「焼き肉食いたい」

 

これらの言葉は、発信側と、受信側の関係性によって良いか、悪いか、問題ないか、変化します。

 

HSP(Highly Sensitive Person)を通り越し、自分自身を「繊細さん」と自称する人々にとっては、NGワードが相当多いはずです。心理学の研究者がきちんとエビデンスに支えられた考え方を提示しようとしても、「否定された」「傷ついた」と彼らは思うのですから。

 

学術的な意味でのHSPではなく、日本で流行している「繊細さん」は、「私が傷つくことを他人は理解してください」「私を決して否定しないでください」というものです。HSPは間違いなく、リベラリズムの台頭によって広まった解釈だと私は考えています。

 

発信側の表現方法によって言葉の伝わり方が変わるのはもちろんなのですが、受信側が設定するNGワードを含む表現は、発信側がいくら努力してもダメです。

 

HSP問題はその一例ですが、(上のデイリー新潮記事の)発信側の研究者はあくまで必要な見解を述べているに過ぎません。むしろ当事者を想っての言葉です。しかし受信側が「その言葉が私を否定し、傷つける」と処理しています。

 

ですから、「言葉だけ」で善悪を問うのは難しいのです。受信側によって、あまりに解釈が分かれます。

自分の被害者体験と重ねて糾弾はダメ

『人が深く傷つくのは「自分だけに」向けられた言葉では?』のパートで、

 

「会ったこともない著名人が不特定多数に向けて放った言葉が、長年に渡り自分の心に刺さって傷ついている」などと言う人を私は見たことがありません。

 

と書きました。

 

しかし直接的に言葉を受けてなくても、「それが自分の過去の記憶や体験を蒸し返して、私が辛いから言うな」と言う人もかなりいます。

 

人間の尊厳を守り、いじめを無 くすために ~小山田圭吾氏の30年近い前のインタビュー記事について~
一般社団法人日本自閉症協会 会長 市川宏伸

 

小山田圭吾問題について日本自閉症協会が出した声明にも、同じことが書かれていますので以下一部引用します。クイックジャパンのいじめ紀行に対する文章です。

 

“多くのいじめや差別の被害者がこれらの記事を目にすれば、過去を思いだし、体調を悪くします。書かれているような酷いいじめや差別が小山田氏の学校で実際にあったのかどうか、誇張されたものなのかどうかに関わらず、この特集記事はいじめや差別の被害者の視点を欠いており、出版意図に関わらず、いじめや差別を助長します。”

 

まず「(いじめ紀行が)出版意図に関わらず、いじめや差別を助長します」の因果関係の根拠となる情報は全く示されていません。自閉症協会・会長の市川氏がそう感じたのは分かりますが、いじめや差別を助長すると断言するだけの真っ当な理由は、本当はどこにも存在しないはずです。

 

「過去を思い出し、体調を悪くします」もなぜか断言されているのですが、(いじめ紀行の)沢田、村田本人がそれを言うなら正当な主張だと思います。しかし当事者でない人間が言うならば正しいとは思えません。

 

いじめられた経験がある人の中にも、体調を悪くする人もいれば、そうでない人もいます。また、これは意図せず受動的に見てしまうようなテレビの民放で放送されたわけではありません。クイックジャパンは、本屋に行って能動的に手にしなければ決して触れることのないマイナーなサブカル雑誌です。

 

そんな隅っこの存在にも、根拠もなく、出版意図を汲み取ることなく表現規制を求めることが正しいという主張に、私は全く賛成できません。「そして、誰も何も本音を言えなくなった」という境地へ行き着くだけでしょう。

 

次のツイートは、「自分の被害者体験と重ねて糾弾はダメ」と「人が深く傷つくのは自分に向けられた言葉である」を合わせて説明するものです。

これはいじめ紀行に嫌悪感を持つ方から「素朴にあなたの意見を聞きたい」と言われたので普通に論議に応じていた一件の結果です。

 

このオードリーヘップバーンをアイコンに使う相手方は、私の小山田圭吾さんのブログといじめ紀行の全文を読んだと仰った上に、最初に話しかけられた時の文章のトーンも平穏な印象だったので、私は対話に応じることにしました。

 

一旦丸く終わったものの、沸々と被害妄想が沸いてしまったようで、翌日にリプライを残してブロックされて終わりました。彼女がしきりに主張していたのは、「私はいじめ被害者なので、いじめ表現に自分の被害感情をスライドさせてしまう」というものでした。

 

いじめ紀行は素直に読めば「小山田(いじめっ子)− 沢田(いじめられっ子)間の友情」を思わせるように意図されており、それが自分が気に食わなかったとしても、自分の被害感情をスライドさせて表現規制や断罪を求めるのは、全く筋が通っていないでしょう。

 

さらに注目したいのは、彼女はいじめ紀行や私のブログの全文をちゃんと読んだことです。そして私に話しかけるトーンも、文字からは平穏に見られました。しかし私との直接的な対話によって、私のブログやいじめ紀行を読んだ時よりも、さらに強い被害妄想(怒りが含まれる)が発生したと考えられます。

 

私はブログに書いた事と同じことを彼女に説明しています。彼女はブログを全文読んでいます。しかし、私との直接的な対話によって、感情が高ぶったでしょう。ブロックした後に、自分のツイートを全て消去するというヒステリーにまで発展しています。

 

これは、彼女はロッキングオンやいじめ紀行の不特定多数に向けられた文章から深刻な心のダメージを負ったのではなく、やはり「直接自分に向けられる言葉」に傷ついたり、怒りが湧いたり、被害妄想を持ってしまったり、心のダメージを負うことを示しているでしょう。

 

嫌悪感を動機とした彼女の主張は「被害者意識をスライドさせることへの正当化」と「私が傷ついたことを分かって!」だったものの、私に認めてもらえずに憤慨してしまっただけの話なんですね。これは。

 

「いじめ紀行」は本来、異質な相手との直接的対話によるヒステリーを起こす前に、免疫をつけるような役割にもなり得ます。

 

(これはもちろん、クイックジャパンは本屋に行って能動的に手にしなければ決して触れることのないマイナーなサブカル雑誌であることを前提に書いています。クイックジャパン読者のリテラシーに合わせたものと、ゴールデンタイムのテレビで流して良いものは、許容されるラインが異なるのは当然のことです。)

 

勝手に自分の体験と、自分の気に入らない表現を重ね合わせて批判をするのは、道理に反していると思いますよ。それぞれ事情が違いますし、いじめを描写したものが、いじめを助長させるという単純な因果関係などありません。

 

あると言うなら、クイックジャパンのようなマイナーな問題に取り組まず、まずはドラえもんからジャイアンを消し去る運動から始めた方が良いと思います。

因果関係は何事も単純ではない

皆さん、話についてきてくださっているでしょうか?私がここで主張しているのは「言葉だけで善悪を判断することは出来ない」という話です。それを多方面から、出来る限り詳細に解説しています。

 

話が広がり気味で申し訳ないのですが、直接的、単純に因果関係を結びつけても不正解となりがちな例を、いじめ・差別以外のテーマで少しあげてみます。多方面から理解することが大事です。

 

喫煙はコロナの罹患や死亡リスクを上げるような気がしている人が結構いると思います。タバコが肺がんの原因になると一般的に言われていますし、肺にさまざまな物質を含む煙を吸い込み、煙を鼻から出したりしますから、鼻腔に感染して、肺炎を起こす新型コロナ感染症の死亡リスクとの因果関係がありそうな気がしますよね。

 

WHOもCOVID-19 は主に肺を攻撃する感染症である。喫煙は肺の機能を損なうため、身体がコロナウイルスやその他の疾患を撃退することを困難にするとして、禁煙を促す声明を昨年5月に出しています。

 

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と喫煙に関する WHO 声明
2020 年 5 月 11 日版

 

しかし、その3ヶ月後に発表された世界最大規模のコホート研究では「喫煙はコロナ死亡リスクを上げない」という結果が出ました。因果関係は、そう簡単には分からないものです。

 

「筋が通っているのが科学」〜崎谷博征氏、マスクが危険って本当ですか?その5〜

マスクに関する沢山の過去ブログに書いたことですが、WHOは2020年の前半まで、マスクの重要性を明らかに軽視していました。

マスクに関する科学的研究が進んでいなかったのも軽視の原因ですが、おそらく欧米人はマスクの習慣がなかったので、こんなもので防げるかという偏見もあったでしょう。(表向きには医療機関のためにマスクを取っておくという話であり、それもまた事実ですが)

 

偏見は、因果関係の正しい推測を困難にさせます。

 

耐糖能(血糖値上昇率)変化の推移 2015→2018

自分が最近書いたブログからの事例を出しましたが、他にも糖尿病や高血糖の原因は砂糖や糖質ではないとか、オメガ3系の植物油が血液をサラサラにして健康に寄与するとは限らないとか、山羊座生まれの人が山羊座の性格を特別強く持つとは限らないとか、過去ブログにこれまで綴ってます。興味があれば、ぜひ探して読んでみてください。

 

鶴見氏のこのブログは、私と違い、短く、分かりやすいので、こちらもぜひ読んでみてください。

まとめ

長くなりましたけど、ここで伝えたいことを改めて簡潔にまとめると、

 

1. ものごとの因果関係を突き止めるのは想像以上に難しいです。

2. 不特定多数へ向けた言葉から深刻な心の傷を負うとは考え難いです。

3. 言葉は受信側によって善悪が変わってしまいます。

4. となると、言葉だけで善悪を裁くって、本当に正しいことなの?

 

といった感じです。

 

言葉だけ追っても泥沼です。小山田さんに弱者への加害を助長する意図などあったはずがないし、モーリー氏はいじめ紀行が弱者への加害を助長する因果関係を示すことが出来ないはずなのですが、そう受け取られたら、それまでです。

 

被害者(とされる人物)から償いの要求が存在していないにも関わらず、第三者が償え!と言う謎の状況にまで発展しています。

 

では、問題発言を放った人物は放置で良いのか?どうするのか?

 

と問われれば、それは何らかの論議が起こるべきだろうと私も思います。

 

ここで冒頭に戻りますが、

 

  1. DaiGoと小山田の「発言そのもの」への責任追求は無意味
  2. それよりもDaiGoと小山田の過去の仕事について詳しく知るべき
  3. DaiGoと小山田の問題点の相違はハッキリと区別認識できなければならない

 

(小山田さんの話が多くなってしまったので、「小山田」を加えました。)

 

ようやく「1」を説明し終わったので、「2」と「3」に続きます。

 


 

メンタリストDaiGoの炎上問題より Part.1〜Part.3 +1

  1. 「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか? **
  2.  社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ①  **
  3.  社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ②  **
  4. 解説:「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか? **

 


 

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藤原 悠馬生化学講師、占星術講師、EMFA1級電磁波測定士。

「症状の原因を根本から読み解く エネルギー代謝学」セミナー主宰。細胞レベルの代謝、病理、自然界、食文化を縦横無尽に繋ぐ他に類を見ない圧倒的な俯瞰力と分析力が話題を呼び、全国から多数の現役医師、治療家、薬剤師、美容家、栄養士、料理人、ボディインストラクターなどの健康・治療業界のプロから一般の主婦までがセミナーへ集う。どこにも所属しない、日本で唯一のフリーランスの生化学講師。2019年より「生化学講師が教える 占星術の基本の考え方とホロスコープチャートの読み方講座」を始動。IC魚座29度「プリズム」/MC乙女座29度「読んでいる書類から秘密の知識を得る男」。全ての生命の普遍的な創造原理を、文献や生活の全てから抽出し、具体化するのが生業。

藤原 悠馬ブログYuma's Blog

健康を知ること
= 自然の法則を知ること

藤原 悠馬生化学講師、占星術講師、EMFA1級電磁波測定士。

「症状の原因を根本から読み解く エネルギー代謝学」セミナー主宰。細胞レベルの代謝、病理、自然界、食文化を縦横無尽に繋ぐ他に類を見ない圧倒的な俯瞰力と分析力が話題を呼び、全国から多数の現役医師、治療家、薬剤師、美容家、栄養士、料理人、ボディインストラクターなどの健康・治療業界のプロから一般の主婦までがセミナーへ集う。どこにも所属しない、日本で唯一のフリーランスの生化学講師。2019年より「生化学講師が教える 占星術の基本の考え方とホロスコープチャートの読み方講座」を始動。IC魚座29度「プリズム」/MC乙女座29度「読んでいる書類から秘密の知識を得る男」。全ての生命の普遍的な創造原理を、文献や生活の全てから抽出し、具体化するのが生業。