善悪は常に表裏一体 (小山田圭吾さんのいじめ問題より)

 

—目次—

・障害児からもらった年賀状を公開したことが問題になっている

・ネットで流布される年賀状の記事(2ちゃんねるニュース)

・原文を見ると印象が変わる

・インフォデミックの感染源ブログ

・沢田さんに関する記述を丁寧に読んでみよう

・沢田さんの唯一の発言は「仲の良さ」を肯定するもの

・小山田圭吾は「沢田に会いたいな」と発言している

・私の知的障害者に対する記憶

・誹謗中傷をする人々の自己正当化問題

・小山田圭吾はある意味差別感覚を持っていない

・誰が沢田さんを救えたのか?

・口の悪いやつは、人の悪いやつなのか?

・ミュージシャンの沈黙はいじめの実態を表しているようにも見える

・最後に

 


 

こんにちは。ブログの続きやセミナーの開催が滞ってしまってますが、今日はオリンピック・パラリンピック開会式の音楽担当である小山田圭吾さん(コーネリアス)のことについてブログを書きます。

 

※以下、文章をすっきりさせるため「小山田圭吾」と敬称略で書かせて頂きます。

 

 

私はネットであらゆる人達が小山田圭吾を総攻撃している現状に対して異論を持っています。先に以下2点、簡潔に結論を表明しておきます。

 

・過度の小山田圭吾バッシングは正当な裁きではない。

・バッシングと傍観に徹する人々こそが「いじめ」が無くならない根本原因を体現している。

 

すでにTwitterに諸感を綴っていますが、ここでは詳細に解説していきます。小山田圭吾が公開した、沢田(仮名らしいです)さんからもらった年賀状のことを中心に、問題提起を行います。

障害児からもらった年賀状を公開したことが問題になっている

私がツイートを投稿してすぐ、この年賀状に関する報告のリプライを受けました。

 

 

この年賀状の画像と共に、以下の文章がネット記事(まとめサイト)には掲載されていました。

 

沢田君の年賀状について小山田

「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕のところには何か出すんですよ(笑)。で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、、そこに「明けましておめでとう」とか「今年もよろしく」とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)。」(P.57-58)

『クイック・ジャパン』(1995年8月号)

インタビュー記事の最後に、
沢田君が母親と一生懸命に書いた年賀状の写真も掲載
クイックジャパンp.72の写真

 

私はこれを読んで思ったことを率直に、リプライ主に返しました。

しかし、このリツイートをもらっただけで、「何が問題とお考えか?」の具体的な説明は頂けませんでした。ここは重要です。なぜなら、このemcさんは他人に対して「何が問題か」を自分の言葉で説明できるほどに熟考をしていない可能性があります。(後に解説しますが、これはインフォデミックによる刷り込みが入っているからです)

ネットで流布される年賀状の記事(2ちゃんねるニュース)

匿名アカウントから実名ジャーナリストまで、多くの方々が「胸糞」「鬼畜」「犯罪者」と小山田圭吾を裁いている現状です。

フォロワー10万人越えのジャーナリストが、「痛い2ちゃんねるニュース」を引用して「これは鬼畜か」と吐き捨てる状況。

 

【悲報】小山田圭吾さん、障害者の息子と母親が一生懸命書いた年賀状を雑誌に晒して笑い物にしてしまう

 

2ちゃんねるニュースは私が報告を受けたまとめサイトの数時間後に投稿されたもので、画像が1つ追加されています。

 

 

まとめサイトに引用された言葉の部分だけを、雑誌から切り抜かれた写真ですね。

 

ネット情報を見る際には、こういった「不自然な切り抜き」には敏感になって欲しいと、私は皆さんに伝えたいです。

 

私は切り抜かれたものでも、「年賀状の文面と小山田圭吾の説明から、障害者の子が小山田氏にいくらかの好意を持っていた可能性が考えれますね。」と回答しました。理由は、シンプルに以下2点です。

 

・沢田さんは年賀状を基本的に出さないタイプだが、小山田圭吾には出している。

・沢田さんの手紙の内容は「手紙ありがとう」「三学期も頑張ろう」というポジティブなものである。

 

小山田圭吾は「僕は出していなかったんだけど」と書いているのに、沢田さんからの年賀状には「手紙ありがとう」と書かれていることも気になります(実は小山田圭吾は手紙を出していた?)。

 

ここに様々な憶測が交えられながら「胸糞」「鬼畜」「犯罪者」と誹謗中傷の嵐が起こっています。もちろん私もこの情報だけでは憶測するほかありませんが……この年賀状のやり取りには「当事者達にしか分かり得ない何か」がある気がしてならないんですよね。

 

しかしそう考える人がほぼいないようで、TwitterでもGoogleでも、検索をかけてもかけても「胸糞」「鬼畜」「犯罪者」みたいな誹謗中傷ばかりです。

 

例えば学校でイジメ問題が発生して、自分が先生だったとします。私だったら、まずは事情を詳しく聞きます。いじめっ子、いじめられっ子の双方からです。そうでなければ、いじめの根幹にある根本的な原因を知ることが出来ません。これが会社内の、大人のいじめであっても同様のことです。

 

私はこれを「空気を吸うくらい当たり前のこと」と思ってるんですけど、ネット上では「小山田圭吾本人からもう少し事情を詳しく聞いてから何かを判断するべきじゃないのか?」とか「被害者とされている当事者の発言を探してみよう」というような雰囲気は全く無いんですね。あるのはただ「即時の断罪」です。

 

小山田圭吾の「連絡を取れる手段があれば、受け入れてもらえるならば、直接謝罪したい」という言葉にさえ「もう顔も見たくないに決まってんだろ!思い出したくもないはずだから蒸し返すな!余計に傷つくだろ!」というバッシングが出ています。バッシングする側には明らかに「まずは話を聞いてみよう」という姿勢がないどころか、当事者の心を勝手に決めつけている。

 

この状況に、流石に私も参りました。気が病みかけます。詳細を知ろうともせず人間を裁くことに何の疑問も持たない人が大勢いる。自分が当事者だったらと思うと、これはかなりキツい(どっちの側だとしても)。

 

(↓しまりすさんはアカウントに鍵をかけているので埋め込み表示されません)

 

 

そんな時に、私と同じことを考え、発言している方を発見しました。しかも「支援級11歳、自閉症+知的障がい+ADHDの息子を育てているお母さん」です。パブリックイメージでは、今回のことに最も傷付き、怒り、被害者とカテゴライズされそうな方からの、雑誌の全文を読んだ上での「彼と小山田くんは友だちだったんじゃないか」という発言に、私は気持ちが救われました。

 

私は相当にアウトサイダーな生き方をしていますが、自分のマイノリティを不安に思ったことなど無いです。しかし今回は、ここまで話題が沸騰しているのに「小山田圭吾と沢田さんの間に友情があったかもしれない」という発言を、しまりすさん以外にただの一度も見てません。

 

初めて、「え、俺の感覚っておかしいのか?」と少しだけ不安になりました。

 

事実は分からないということは強調しておきます。しかし、実際に友情もあったと考えられる可能性はインタビューから読み取れることを解説していきます。

原文を見ると印象が変わる

翌日、ツイートから年賀状に関する全文と思わしき写真を見ることが出来ました。

 

皆さん、どうでしょうか?ちょっと印象変わりませんか?

 

・肉体的にいじめていたのは小学生くらいまで。

・中学高校では、どっちかっていうと仲良かったという感じ。

・イジメというよりも、僕は沢田のファン。

 

と書かれています。

 

さらに、

 

・小山田圭吾は沢田さんの言語的なセンスと能力を褒めている。一目置いて、評価している。

 

とも読めると思うんです。これが生真面目な方には理解できないのだと思います。沢田さんが障害児であることのバイアスも影響しているでしょう。

 

サブカルとまで言わなくとも、ロックやパンク好きな方なら「あいつすっげえバカ w」とか褒め言葉やリスペクトにもなり得る感覚が理解できるはずです。「キチガイ過ぎてサイコー w」みたいな。

 

小山田圭吾は沢田さんに対して、本人も「当時反省することなく語っていた」と謝罪している通り、非常に軽率だったのは全く否めません。本当に当時の性格は肯定できない部分があったでしょう。

 

しかし、もしかするとですよ?

 

軽率さ、残酷さと共存する形で、沢田さんに対するリスペクトや友情もあったのではないかと思うのです。相手が障害児であるという配慮、またはインタビューとして出版されても良いのかという思考に欠損していただけで。

 

大多数に理解されないことは承知の上で書いてますが、「善か、悪か」という二元論で考えないで欲しいんです。

 

(ココナッツチョコレートさんの意見にも私は同意します。この感覚は大事です。)

インフォデミックの感染源ブログ

雑誌インタビューの全文が読みたくて検索すると、全文かどうかは不明ですが、ある程度のボリュームで掲載されているサイトを見つけました。

 

孤立無援のブログ

小山田圭吾における人間の研究(2006-11-15)

 

おそらく、これは情報の拡散元の、今回の「インフォデミック」の感染源のひとつです。2006年の記事になります。

 

インフォデミックを理解しよう 〜マスク論文の拡散を時系列で整理〜

陰謀論を叩く人々が、今回大挙して小山田圭吾を叩いている現状です。矛盾していると思ってくださいあなた方(陰謀論を叩く人々)は、陰謀論者と全く同じことをしている。インフォデミックには常に「ヘイト感情」を持つ人々が加担しています。それをどうかご理解頂きたい。

 

この「孤立無援のブログ」の炎上しているコメント欄も含めて非常に参考になりましたので、諸々引用しながら解説を進めます。

沢田さんに関する記述を丁寧に読んでみよう

年賀状以外の沢田さんのことに関する記述を確認してみましょう。以下引用します。

 

■沢田さん(仮名)のこと

沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?

だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。

段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ〜ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。

 

まず説明したいのは、ロボパーってこんな可愛らしいやつです。

 

私世代じゃ無いので知らないんですけど、キャラクターの説明を読んだら今でこそ復活するとメッセージ性が高くなりそうなキャラ設定(すぐにショックを受ける面倒くさいロボット)ですね。

 

子供はアニメの中のへんてこりんな脇役キャラに愛着を持つものです。その個性が輝かしいものに思えることもあります。

 

小山田圭吾は沢田さんを「すげえ気持ち悪いやつ」とか言うのではなく「ロボパーみたいで、ある意味スター」と表現している部分を、小山田圭吾が「僕は沢田のファン」と表現しているところと合わせて考えてみてください。

 

次ですが、先ほどの年賀状の記述では「肉体的にいじめていたのは小学生まで」という話でした。沢田さんが転校してきたのは小学2年生の時です。ですから、このいじめの記述は小学生時代のことであろうと推測できます。

 

私は1989年に小学校に入学しています。このインタビューが掲載されたのは1994年の1月、私は小学校5年でした。「いじめ」というのが社会問題になっていた時で、小学校時代、酷いイジメは無かったと思いますが、いくらかのことは勿論ありました。

 

小山田圭吾の件は、相手が障害児であるという条件が論争を引き起こしていますが、それを抜きにすると、段ボールに閉じ込めたり、黒板消しの毒ガス攻撃というのは、私の記憶でも単なる日常の一コマでした。私もダンボールに閉じ込められたり、マットレスに巻かれたことがあります。黒板消し毒ガス攻撃は、軽い喧嘩やふざけの一環で、みんなやり合っていました(勿論、集団が一人に対してでは無い話ですが)。

 

小山田圭吾は私より14個上の学年なので、私が経験していた状況と異なるかもしれませんが、「相手が障害者である」という条件を除いた場合には、当時よくある出来事でした。現状の激しい制裁の嵐を受けなければならないようなものでは無いです。

 

いや、知的に弱い障害者を相手に複数でいじめているのが問題なのだと仰る方もおられると思います。それはごもっともです。しかし、このイジメがどの程度のレベルだったのかということが不明で、沢田さんが実際にどう感じていたかも不明です(←バッシングする方々は気に留めないようですが、ここ重要です)

 

(↓の@MnYO9LwGJfXfgA7はアカウント凍結されたようです)

 

しかし「苦しくてお母さんと呼び叫んでいるのに暴行し続けている」という話がネット上で連鎖しています。

 

 

このような方々は「沢田さんが実際にどう感じていたのかは分かりません」という私の問いに対して「苦しかったに決まってんだろ!そんなことも分からんのか!」と言いたいのでしょうが、障害者と密な友達関係になったこともない人が、果たして障害者の気持ちなど分かるのでしょうか?

 

長い時間を共にする家族ですら、他人を理解することの難しさを痛感したことって、誰でもあると思います。だからこそ、夫婦、親子の問題は絶えません。まして知的障害者となると、健常者とは明らかに異なる感覚を持っている部分もあります。

 

それを「理解しているに決まっている」と考える人々は、私には盲目的としか思えません。

沢田さんの唯一の発言は「仲の良さ」を肯定するもの

沢田さん本人の貴重な発言が、クイックジャパンの記者がなんと沢田さんの自宅に乗り込んで、沢田さんとお母さんに直接インタビューを試みたという企画に掲載されています。今なら絶対に出版されない企画ですが、これが許可されたのは単純に時代の違いです。

 

以下、引用します。

 

沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。お母さんによれば、”学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。

 お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」

 寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。

■(小山田と)対談してもらえませんか?

「(沈黙……お母さんのほうを見る)」

■小山田さんとは、仲良かったですか?

「ウン」

 数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。

 

ここから抽出できる事実は以下です。

 

・現在の大多数が沢田さんが虐められていたと考えている学生時代(小〜高校)よりも、卒業後に調子が悪くなっている。

(いじめから解放されたはずだが、心身の状態は悪化している。これは事実。)

・母親は「小山田くんとは仲良くやっていたと思っていた」と認識している。

・沢田さん本人も、仲が良かったか?の質問に「ウン」と回答している。

 

本当に、沢田さんは小山田圭吾のいじめによる被害者だったのでしょうか?

私は疑問に思います。

 

これにも何かと理由をつけて批判をする人がいるのでしょうが、小山田圭吾と沢田さんの関係を「加害者/被害者」と決めつけるなら、沢田さんの「ウン」も嘘だという根拠も明確に論じるべきでしょう。

 

沢田さんが学習障害だから「ウン」と言ってしまったということも無いでしょう。「対談してもらえませんか?」の問いには沈黙してますので、自分の意思を持っての「ウン」のはずです。

小山田圭吾は「沢田に会いたいな」と発言している

多くの人々は、「小山田圭吾は自身のいじめの罪に対してスルーし続けている」ことを責めています。

これはいただいたリプライですが、森喜朗が「場をおさめるために謝罪した」と発言したことと何が違うのかと問われたのですが、小山田圭吾は「場をおさめるために謝罪したと言ってない」としか返しようがないです。ヒステリーを言われても論議になりません。

 

それはともかく、ロッキングオンとクイックジャパンという有名紙に掲載された発言が物議を醸す中、これまで対応してこなかった事は私も問題だと認識しています。そこに一切の異論はありません。より詳細な説明の場(記者会見でも動画配信でも文章でもいい)を設けるべきだと考えます。

 

しかし「小山田圭吾は犯罪的ないじめを行なったにも関わらず逃げ続けている」という話は、少なくとも沢田さんとの関係の中では違うと私は思うんですよね。それはここまで説明してきた通りで、以下の発言からも読み取れます。

 

クイックジャパン記者が沢田さんの家に行く前に行われた、小山田圭吾といじめた2人(沢田さんと村田さん)を対談させようという(批判されても仕方がない)企画内のインタビューから。

 

■もし対談できてたら、何話してますか?

「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、ぜったい昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)、『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうと思うんだけど」

やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?

僕が? 村田とは別に会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕

■特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?

「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてるほうなのかなあ?」

■その区別って曖昧です。

「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」

■やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?

「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃたりするもんねえ」

■ええ。僕も聞きながら笑ってるし。

 

これを読んで、小山田圭吾がすごく軽率で、非常識な性格をしていたことは事実だと私も思います。

 

しかし「できることなら会わないで済ましたい?」という問いかけに、「なんで?」みたいなノリで、「沢田には会いたい」と回答してるんですね。

 

「悪事を働いている自覚すら無い鬼畜だ!」と糾弾する人々が大発生しているのですが、当の沢田さん本人は小山田圭吾と仲が良かったという過去に「うん」と答えてます。さらに小山田圭吾も「会いたい」と言っています。これは辻褄が合わないですよね?

 

よほど人を傷つけることに自覚が無いバカだったのも確かでしょうが、「残酷で純粋な子供のまま大人になってしまった」というような側面もあると思います。

 

皆さんが過去に数人でも「本能的で、子供のように残酷(大人としての分別に欠けている)だけど、子供のような純粋さ故に、差別や偏見も無い人」に出会ったことがないでしょうか?この表現で伝わるか自信がありませんが……以下、自分の体験談から解説を試みます。

私の知的障害者に対する記憶

私は1学年2クラスしかない小さな小学校の出身で、同学年には知的障害者やダウン症の人がいませんでした。他学年には、確か1人くらい居た記憶もありますが、うっすらとしか記憶にないです。なぜ記憶にないかというと、小学生のころは知的障害に対して異質性をあまり感じていなかったからではないかと思います。

 

中学校は7クラスあり、それでも同学年には知的障害者等がいなかったのですが、1個上の学年には2名居ました。1名は知的障害者っぽくて、1名はダウン症。会話したことは無いのですが、顔ははっきり覚えています。1名は自分と同じサッカー部に所属していて、たまに部活に出席していることもあったので名前も。

 

思春期になり、小学生時代とは知的障害者に対する自分の感受性が大きく変化しました。今後の将来とか、受験とか、異性への意識とか、様々な事柄に対して劣等感等にも敏感になっていた時期に、知的障害者とは凄まじいハンディキャップだよな……と感じたものです。

 

見ていて率直に「自分が知的障害やダウン症だったら、どんな人生なんだろう、、、」となんとも言えない気持ちになります。これは今も変わりません。

 

見下しているつもりは全くないのですが、どこか「自分は知的障害者ではなくてマシだった」とでもいうような、「自分は不当に優劣をつけていないだろうか?」とでもいうような……やはり、後ろめたい気持ちになっていた記憶もあります。

 

それゆえに、当時の私にとって、知的障害者の方々は「どう接して良いのか全く分からない存在」でした。

 

私も含め多くの学生が傍観している中で、時折、非常にナチュラルに彼らと接する人も見ました。まして楽しそうに会話(になっていないけど)していたりすると「自分にはなかなか出来ないことだ」と感嘆していました。「どうやったら楽しく遊べるのか自分には分からないし経験もない」からです。

 

同時に、普通に接したら良いだけのことを、知的障害者に対してどう接して良いか分からないと考える自分は、差別をする心を持っている可能性が高いと、後ろめたい気持ちになりました。

 

私としまりすさん(お会いした事はありませんが知的障害児の母です)は、大体のところで、上記ツイートのような同じ感覚を共有していると思います。だから「沢田さんとは友達だったのではないか」と自然に思うんですね。

 

こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。

何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。

その長谷川君っていうのが、相撲が上手いんですよ。足掛けてバーンとか投げる技をやったりとかすんの。素人じゃないの。小人プロレスなんて比じゃない! って感じなんですよ。もう(笑)。

で、やっぱああいう人たちって……ああいう人たちっていう言い方もあんまりだけど……何が一番凄いかって、スクリーミングするんですよ。叫び声がすごくナチュラルに出てくる。「ギャーッ」とか「ワーッ」とかいう声って、普通の人ってあんまり出さないじゃないですか、それが、もう本当に奇声なんか出てきて、すごいんです。

太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)

 

この文章中の、

 

・図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)

・マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)

 

2点だけが大拡散されているのですが、一息吸って、落ち着いて、私のように「自分は学生時代に知的障害者とどう接していたか?」も考えた上で全文を読んでみて欲しいです。

 

長谷川くんのことを「超ハードコアなおかしい人」という表現は、前途の通り生真面目な方には分からない感覚なんですけども、ある種のリスペクトが含まれていることがあります。そして相撲が素人じゃないレベルで上手いと一目置いている様子が伺えます。

 

障害者のスクリーミング(叫ぶ)行為に関しては、彼は軽蔑の言葉は使っていないと私は考えます。普通の人が出さない叫び声を「凄い」と表現しているだけです。皆さんも、障害者が叫んでいる行為を目の当たりにした時、「凄いな」と漏らしたりしませんか?それを率直に、悪びれずに発言しているだけとも取れます。

 

私なんかは、時折見る「スクリーミング」だけで、どう接していいか分からない動揺を感じていたので、それをわざわざ見に行って、積極的に関わっていくことなど出来なかった立場です。もちろん小山田圭吾も「確かにヒドイことしたし」と自覚しているので、もっと優しさがあるべきだったと思います。

 

しかし関わらずに傍観していた自分が優しいかといえば、全くそんなことは無い。むしろ私は小山田圭吾よりも冷たい人間だったのかもしれないとも考えます。

 

 

「(笑)」の表現が気になる人は、このシセルさんのいう感覚も考慮してみてください。断定の前に、言葉にどんな意味合いが含まれるのかを考えないと、思考がどんどん一方向へ向かっていきます。

誹謗中傷をする人々の自己正当化問題

ここまで私が説明してきたことをほとんどの方々が考えることもなく、集団リンチと表現できるような行き過ぎた制裁を加えることは、果たして本当に正しいことなのか?という問題提起をしたいと考えて長い記事を書いています。

 

私は小山田圭吾の過去を支持するものではありませんが、現在を擁護をしているでしょう。現在においては、小山田圭吾は弱者と言えるからです(反論があると思いますが、最後まで読んでください)。

 

 
(↓しまりすさんはアカウントに鍵をかけているので埋め込み表示されません)

 

しまりすさんの力も勝手に借りてしまいましたが、私が皆さんに、社会に伝えたいのはこんなことです。

 

この問題について、ここまで多数引用させて頂いた<孤立無援のブログ  小山田圭吾における人間の研究(2006-11-15)>のコメント欄から垣間見ることが出来ますので、いくつか紹介したいと思います。

 

コメント欄の意見①

nyさん

特に小山田さんもコーネリアスもフリッパーズギターも好きではありませんが、管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか。

 

身体的に傷つける等のいじめだけのことだけでなく、精神的にも。

いじめられている人を、その状況を無視したこともないのでしょうか。

障害者の方がいたらどのように接しているのでしょうか。

 

私は昔いじめられていた経験があるので、いじめは良くないと思っています。もちろん、小山田さんがしていたことを擁護する気持ちはさらさらありません。いじめられていた私ですが、それでもやはり障害者の方とどのように接すればよいのかわかりません。

なので、逆に、いじめを批判する方がどのような姿勢でいるのかをするのかお聞きしたいと思い、コメントを書かせていただきました。音楽論とはかけ離れたコメントで申し訳ありません。

 

私やしまりすさんと、ほぼ同じ意見であることが伺えます。

 

このコメントに対して、ブログ主がどう返信したかを一部抜粋の形で(長くなってしまうので)引用します。

 

電八郎 (ブログ主)さん

しかし障害者の問題に関して、私はくわしくないので、本などで得た知識と感想しか書けません。だからあまり参考にならないと思います。

もっとちゃんとした答えを求めているのなら、福祉関係の専門家とか障害者自身におたずねください。

小説や映画に出てくる障害者は美化されていて、けしからんと怒る人もいますが、それのどこが悪いのか、私にはわかりません。

 

ブログ主の電八郎さんは、障害者のリアルを知らない。分からないから、本などで得た知識しか書けない。もっとちゃんとした答えを求めるなら、専門家と障害者自身に尋ねてくださいと回答しています。

 

「専門家に聞いてください」というのは、責任を持つ気がない人が口にする定形文のようなものであり、あらゆる物事において専門家に聞いても最適な答えが見つからずに困っている人など大勢います。コロナ禍において感染症専門家の意見などその一例でしょう。過剰な感染対策によって生活が追い詰められている人もいるわけです。

 

ブログ主には大変な矛盾があります。専門家に責任丸投げの姿勢で何も分からないと自覚しているのに、沢田さんとの間に友情もあったかもしれない小山田圭吾を、問答無用の形でバッシングしているのですから。

 

最も重要なポイントは「いじめられている人を、その状況を無視したこともないのでしょうか。」の問いには無回答であることです。それはやましいからですね。いじめを無視したことがあるとは言えないことが明白です。何もブログ主さんだけに限らず、ほとんどの人がそうだと思います。

 

なぜか、そんなやましい心を持ち合わせながら人を裁くことに対して正義感すら感じられます。これは歪んだ自己正当化です。

 

コメント欄の意見②

pocoさん

はじめまして。ひょんなことからこちらの過去ブログを拝見し、ここまできました。特に小山田氏ファンでもなんでもありません。

>管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか(先程のpocoさんのコメント)

という書き込み文を読んで感じたこと。

 

私は小学校中学校といじめられていたこともありましたが、じゃあ逆の立場になったことが一切ないかと問われたら、否、と答えるしかないです。

 

小山田氏の発言(自体ではなく)内容がもし事実だとして、小山田氏のような明らかにひどいものではないにしろ、皆と一緒にからかったり馬鹿にする態度をとったことが小学生の頃にはあったと記憶しております。

 

からかう程度ならば「子供の頃にはよくある事・・・」で済ませられるとは思いません。どのレベルが当人にとって深く傷つく行為であるかなんて、他人にはわかりませんし。そういう意味では私も小山田氏と同罪と言えます。

 

百歩譲って(内容が事実であれば百歩ではききませんが)小山田氏や私みたいな子の行為が、あくまで幼さからくる「人と違う子をからかって面白がる子供ゆえの残酷さ」でしかなかったと片付けたとしても、少なくとも私はそれを小山田氏のようにおおっぴらに自慢でもするように発言は出来ないし、したくはない。
恥ずべき過去な筈でしょう・・・そういったニュアンスを引用文からは感じない。

 

ですから

>管理人さん及びh.tさんはことをしたことがないのでしょうか。

 

この主語を私自身に置き換えて自らに問うたとすると、「(レベルはどうあれ)したことあるけど、そんなことをこんな風に話せる人には嫌悪を抱くし、加害者の経験がある私にはその資格がないのか?」と思い、コメントするに至りました。

 

うーんこれもリアルで正直な感想で、私は好きです!

 

最後の「その資格がないのか?」は、率直にハッキリ書けば「私はブログ主のように小山田圭吾を批判する資格がないのか?」ということですね。

 

すごく良いコメントだったのですが、残念ながらブログ主はスルーしました。

 

nyさんには「専門家に聞け」で、pocoさんは「無視」。その理由は後の違う方へのコメントに見て取れます。

 

電八郎 (ブログ主)さん

どうしてこうも小山田を擁護するコメントは、文章が下手で、論旨が不明瞭なんでしょうね。

高校生の方がよほどしっかりした文章を書くし、筋の通った意見を持っているし、小山田を批判する人のほうがずっと音楽にも詳しい。

小山田ファンはもっとがんばらないと、世間の人に、小山田のファンはみんなバカばかりと思われてしまいますぞ。

 

これは「sakana」というネームで投稿されたコメントへのブログ主の返信です。sakanaさんも非常に有意義なコメントを書いてます。複数回にコメントが分かれており長くなるので引用は割愛しますが、ぜひ探して読んでみてください。

 

まず「文章が下手で、論旨が不明瞭」は論点を逸らしているし、ブログ主の文章が上手いとも思えません。

 

nyさん、pocoさん、sakanaさんは全て小山田圭吾を擁護するわけでもなく、彼がいけない事をしていると認識しながらも全否定するのではなく、「客観的に、公平に考えてみる必要があるのではないか?」と問題提起しています。

 

これは私も同じです。しかし、このニュアンスがきっとブログ主には分からないのでしょう。思考が怒りや嫌悪(ヘイト)で支配されているときに公平な視点を持つことは非常に困難です。

 

そして最初から「小山田を断罪する」と結論が決まっているので、3者のコメントはブログ主にとって「分かりたくない」ことでもあります。コメント主たちは何も難しいことを言っていないのですが、

 

・怒り、嫌悪によって公平な視点を持てない。

・怒り、嫌悪などから発生する正義感に思考が支配されているので、結論が動かない。

・事実(自分がいじめの傍観者であることなど)を認めない。事実を分かりたくない。

 

ということが、決してブログ主が理解に至らない原因です。

 

あと1個コメントを紹介します。ちょっと長めですが良コメです。

 

コメント欄の意見③

さらばスバルよさん

小山田圭吾のいじめですが、当事者やその周りが責めるのはよくわかるのですが、全くの第三者である自分がどれくらい責められるレベルなのかはちょっと疑問です。

具体的に問題となりそうなのは
・小学校時代沢田をダンボールに閉じ込めて毒ガス攻撃
・小学校時代沢田をマットで巻いてジャンピング・ニーパット
・高校時代沢田の下半身を露出させた
・中学の修学旅行で村田をバックドロップ
・その時先輩のいじめを静止しなかった
あたりですが、寸感を。

一番目は、小学校時代廊下でズバンとパンツ脱いで下半身マッパで扉開けっ放しでウンコするやつがいたら、まあこれくらいはするかな、といった感じ。先生なら注意はしなくちゃいけないけど。

二番目は多分やりすぎなんだけど、小学生ならやるかなあといった感じ。この歳の子供には注意と監視は必要だよなあ。

三番目は電車内で他校の女子に抱きついたり「コケコッコー」とか鳴いちゃったり、あと小山田本人の「チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ」という言を信じるなら、別にたいしたこととも思えないかな。

四番目はどれだけしっかりかけてたのかにもよるけど、本当に「ガ〜ン!」って頭から落としてたなら酷いかな。ただ村田のキャラもキャラなので、そこは怪我しない範囲でやれよと。

五番目はダブリで同じクラスになった超遊んでる限度を知らない先輩のいじめモードを静止できる人間がどれくらいいるのか、ってことだと思う。自分にはまず無理。

こうやって見て行くと、プロレス技に関しては「怪我するだろ!」と言うことはできますね。

で、音楽と人格?の関連については、言うまでもないことかと思ったんだけど、小山田圭吾の人格を意識して聞くときもあれば、意識せずに聞くこともある,と。
たとえばコーネリアスはCMやらBGMの仕事もやってるので、誰が作ったのか知らずに聞くこともあるわけです。そこまでいかなくても、作業用BGMに近い感じで流してる時もあれば、小山田の意図みたいなものを意識しながら聴くこともあります。

で、人格を意識した場合、いじめっこの面と音との間に齟齬が出るかというとそうでもないです。というのはコーネリアスの音楽は本質的に「不謹慎」なところがあるから。昔の人間が人生かけてやってたことを軽々しい文脈で引用する。その辺も合う合わないがあると思いますよ。自分は好きですが。

確かに音楽より大事なことは色々あって、いじめ問題も自分の周りで起こればその一つではあるけど、音楽を作った人間が昔周りの人間にしてたいじめが倫理的に許せるか否かは自分にとってそこまで大事じゃないです。

それから、メディアでこういうことをこういう口調で語るのってどうなの?という見方もあると思うのですが、これがクイックジャパン内で済んでいて、コーネリアスが当時のポジションのままなら問題はなかったと思うのです。10年後のブログ&コピペ文化と自分のポジションを予想できなかったのが問題かと思いますが、なかなかそこまでできる人もいないかな、と。

結局、いじめられてた側に感情的にコミットするとコーネリアスの音楽を朗らかに聴けない、という話ですよね。この情報でいじめられた側に共感することの是非と、コーネリアスの音楽を朗らかに聴くことの是非を置いておけば、その意見には同意します。

けっこう長めに書いたのでコメント承認してくださいね(笑)

 

長くなるので解説は割愛とさせていただきますが、とてもフランクで視野の広い、沸騰した頭には必要な薬と言えるコメントです。

 

そして、さらばスバルよさんもやはり、肯定でも否定でもないのです。絶対的な結論といえるものも存在しない。

 

そんな姿勢が必要なのではないかと、私は思います。残念ながら、こんな良いコメントを、ブログ主はまたもスルーしました。自己正当化を決め込んでいるので、向き合う気がないのでしょう。

小山田圭吾はある意味で差別感覚を持っていない

すみません、年賀状の沢田さんにフォーカスして書こうと思ってたんですけど、もう1人のいじめ案件を解説します。もう少しお付き合いください。

 

このブログの6年後に、新たな記事が投稿されていました。

 

孤立無援のブログ

小山田圭吾のいじめを次世代に語り継ぐ(2012-08-12)

 

「小山田の朝鮮人いじめのことも書いたよ。」とブログ主がコメント欄で紹介していたのですが、もうタイトルからして……他に次世代に伝えることないの?と(笑)

 

そして読んでみて。あーやっぱりという感じです。うちの実家の近くにも朝鮮学校があって、「チョンコウ」という呼び名で差別的に見ている同級生も居たんですよね。今だって、北朝鮮への差別感覚を持つ人が山ほどいるわけですが。

 

いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴なんだけど、朴(仮名)ってのがいて。こいつは名前の通り朝鮮人なんだけど、朝鮮学校から転校して来たのね。で、なんでからかわれたんだっけ……、とにかく、本当にピュアでいい奴なのね。

〜中略〜

で、ある日「おまえ、そんな家出ちゃえよ。ウチ泊めてやるから」とか半分冗談でアドバイスしたら、ホントに朝の六時に駅から電話がかかってきた。仕様が無いから迎えに行って家に置いてあげたんだけど、こいつのバッグが着替えじゃなくて教科書で一杯でさ。夏休みなのに(笑)。しかも弟に「小山田の家に行く」って思いっきり告げてきちゃったらしくて、結局すぐ親が迎えに来て。僕は怒られた(笑)。

 

ブログ主は「朝鮮人いじめ」と書いているけど、読んでみて明白な通り全くいじめをしていないし、朝の6時に駅から小山田圭吾に電話ですよ?(笑)友情以外の何者でもないでしょう?「本当にピュアでいい奴」とも言っている。

 

少し意識を変えて見てみれば、小山田圭吾の語る言葉から、障害者である沢田さん、村田さん、長谷川さんと、朝鮮人である朴さんと、皆並列に語られていると思いませんか?やはり、「本能的で、子供のように残酷(大人としての分別に欠けている)だけど、子供のような純粋さ故に、差別や偏見も無い人」だと思うんですよ。

 

それでも小山田圭吾の過去は問題だと聞こえてきそうですが、私もそれは問題だと思います。同意です。

 

だけどね。

 

あなたは今まで、知的障害者に対して一切の差別偏見なく、純粋に関わった経験があるの?と問い返したい。そして、「ある」という人に会ってみたい。純粋に、その意見はこの問題を良い方向へ導くと思う。だから聞いてみたい。

 

しかし孤立無援のブログ主のように、小山田バッシングを行う人に、この問いに答える人が誰一人いないのが現状です。

 

誰が沢田さんを救えたのか?

もう一度同じことを問います。

 

一体、誰がどんな方法で沢田さんを救えたのでしょうか?

 

救った人がいたのでしょうか?

 

それとも。

 

小山田圭吾が存在しなければ、沢田さんは救われたのでしょか?

 

最後の問いに関しては、「そんなことがあるはずがない」と私は考えます。

 

傍観者は善良ですか?

 

そんなはずがないでしょう。無関心ほど傷つくもの、寂しいことは無いですよ。

 

 

私自身も、いじめた経験はありませんが、全く軽くですけども、いじめられたような経験はあります。その時は2つ学年上の友人から「お前いじめられてんのか?いじめる奴がいるなら俺がぶん殴りに行くからな!」と電話をもらったことをよく覚えています。

 

よく考えると、2個上の友人が、自分に嫌がらせをする同級生にぶん殴りに行くのはちょっとマズイと思うのですが(笑)、その友人は先輩にも殴りにかかるような勇気ある人でした。ただ喧嘩っ早いのではなく、みんなの笑いをとるムードメーカーの、優しい人です。

 

私自身も例に漏れずですが、こういったタイプは非常に稀です。

 

誰かがいじめとか、それに準ずる嫌がらせを受けているときに、「ここでバシッと止められたらかっこいいんだけどなぁ、、、」と思うものの、出来ない自分に不甲斐なさを感じた記憶なら多々あります。つまりは傍観者であり、私は沢田さんにとって何の利益にもならないタイプでした。

 

現在、著名人から無名のネットアカウントまで、小山田圭吾を厳しくバッシングする人達の99.99%以上、私と同じように、沢田さんを救えないし、何の利益にもならないタイプなのではないでしょうか?

 

そんな人達が、一斉に小山田圭吾を総攻撃する?

 

それは紛れもなく「2020年代の新しいイジメの形」ではないでしょうか?

 

90年代は露悪が度を越えたかもしれませんが、2020年代は偽善が度を超えているように思います。度を超えて行き過ぎたものは、必ず反転します。現代は、90年代の反転なのかもしれません。

 

善悪は常に表裏一体です。誰かにとっての善は、誰かにとっての悪です。そこに「善しかない」ことなど、この世にはあり得ません。人間が決して忘れてはいけないのは、善良であろうとすることの前に、善悪は常に表裏一体であることを忘れないことだと思います。

 

沢田さんにとっての善とは、本当のところ、なんだったのでしょうか?

 

小山田圭吾は社会にとっての悪で、叩き潰すべき対象だったでしょうか?

口の悪いやつは、人の悪いやつなのか?

「人は話し方が9割」という本がベストセラーとなり共感を生む現代、口が悪いだけで非難されがちです。

しかし、小山田圭吾に対する集団的な批判に対しての異議を明示し、優しさを見せたのは毒舌で有名な太田光でした。

 

この週刊現代の記事(文責のクレジットなし)は、1986年に「葬式ごっこ」なるいじめを苦に自殺に追い込まれたいじめ事件と、今回の件を同列に考え、太田光の「時代の価値観も考慮するべき」という主張を否定していますが、「いじめ」を全て一括りにして考えることに大きな問題があります。

 

「いじめ」と呼ばれる子供同士の関わり合いのトラブルは、実態はかなり多様性があるのでは無いかと思います。

 

沢田さんは、小山田圭吾と仲が良かったことに頷いているし、小山田圭吾も沢田さんに会いたいと発言していることを無視している。その点を調べることすらせず、論じることは出来ない世界なのではと私は思います。

 

 

ごく当たり前の手を差し伸べることにさえ、「テロの専門家」から「テロの共犯者」のレッテルを貼られる。

 

ここまで言い切れるのは、おそらく飯山陽という人は、「悪を叩く」ということに寸分の疑いも持たないからでしょう。

 

 

口の悪さで有名な、小山田圭吾と同年代のミュージシャンといえば石野卓球ですが、これは1990年の電気グルーヴのライブです。ブス女 (B・A・S・S)という歌を聞いてみてください。90年代の露悪的な雰囲気が全開で、時代背景を知るにもちょうど良いでしょう。

 

「君はとってもブスだから〜♪ 僕と他人のフリをしろ♪」

「意地悪なんかで言うんじゃないよ、本当のことを言っただけ。嘘をつくよりいいでしょう?だって本当に嫌いなんだも〜ん♪」

 

とニッコニコで歌う石野卓球を見て、やはり嫌悪感を抱くひとは抱くのでしょう。

 

しかし女性の石野卓球のファンが山ほどいることも事実です。容姿など関係なく、偽善に対して空虚さを感じる人々にとっては、この曲が癒しにすらなっている側面もあるはずです。

 

 

これは事実です。石野卓球や小山田圭吾は、大多数のコンセンサスとは外れたところに居ます。

 

ピエール瀧がコカイン使用で2019年に逮捕された時も、いや、石野卓球は正直で、強くて、優しい人だよなぁ〜と私は思いました。

 

 

ピエール瀧の独占取材を手に入れようと自宅に押し寄せる、配慮のない週刊誌の記者達の手紙や写真を、次々とツイッターで公開する石野卓球。さすがです。

 

 

週刊誌の記者にも、ツイッター住人にも、公平に悪態をつく(公平に関わる)石野卓球です。

 

素直に尊敬できる姿勢です。

 

奈々村久生

「逆に問いたい。今回の逮捕が関係解消の理由になり得るのかと」 狂気と狂気のTwitterショーの舞台裏

2020.12.04

 

石野:こっちはショーとして自覚した上で発言しているから、自分のやっていることに対するリスクはまったく感じていなくて、むしろメリットを感じていました。好きでやっているんですよ、本当に。人はそれを「狂っている」とも言うんでしょうけど。で、そこでのやり取りをまた瀧に報告したいんですよ。一人でため込んだり吐き出したりしているんじゃなくて、それを共有できる相手がいるんです。

ピエール瀧:当時は裁判もあるし、あまり外にも出られなくて、家にずっといたんですけど、唯一の楽しみが朝起きて卓球のツイートを見ることでした。

 

これも本当に良い話です。この二人の友情に関しては、私は羨ましいとしか言いようがない。

 

しかし、石野卓球が話しているように「リスクはまったく感じていなくて、むしろメリットを感じてた」からこそ出来た話でもあります。非常に残念ですが、これは重要な事実です。

ミュージシャンの沈黙はいじめの実態を表しているようにも見える

小山田圭吾には多数のミュージシャン仲間がいます。wikipediaを見てみれば、過去にコラボレーションをしたミュージシャン達に知っている人がいないと言う人は、おそらく誰もいないと思います。石野卓球から、坂本龍一、YMO、オノヨーコ、木村拓哉、小泉今日子、海外ではBeck、Sting、Blurまで、改めて眺めながら「世界の小山田圭吾」なのだなと再認識しました。

 

あくまで仕事上で付き合いがあったという履歴ですが、実際に仲の良い人も多数いると思うんですよね。

 

しかし、Twitterで検索してみても、誰も何も言わないようです。

 

(勝手に)何かを期待はしてたんですけど。

 

近田春夫は好きだけど、これは率直にずるい。

 

悲観してるだけで何も意味のあることを言ってないし、皆に発言を期待される中での自己保身くらいのもの。GezanもマヒトソロもNuuamも大好きだけど。

 

これはミュージシャンが何か言っているのを見つけた記録で、実際に交流の深そうな人々は、バンドメンバーが火に油を注いでしまった件以外は、沈黙するのみ。

 

ちょっと聴いたことあるくらいの認識しか私はありませんが、「小山田圭吾との交友から音楽誌やカルチャー雑誌を中心に人気を得る」とwikipediaに書いてある中原昌也氏(暴力温泉芸者)は、唯一Twitterに諸感を綴っていました。

 

しかし、この問題が浮上してから「小山田圭吾がオリンピックで仕事するから友達はやめよう」という、なんともしょうもない子供じみた発言から始まって、

 

「おいおい1対1の喧嘩どころじゃなくて、これは数万対1のいじめなんだから、本気で止めにかかれよ」と言いたくなるような投稿しかなく。

 

一応、小山田圭吾をフォローしている様子は伺えるのですが、友人を助けるべきシチュエーションで、「でもオリンピックに出る小山田は認めがたい」という自分の小さなドグマに負けているとしか思えない、そして説得力のない言い訳がましいツイートの連投かという印象でした。関係性が深すぎる立場上、発言しないという選択肢は無かったと思いますし。

 

青葉市子、ユザーン、好きなミュージシャンです。小山田圭吾とのコラボレーション。

 

まあ誰がとか、無いんですけど……それぞれ思っていることや、意見はあるはずです。

 

それを発言できない。発言しない。

 

そもそもとして、ミュージシャンの中には中原昌也のようにオリンピックの開催自体に反対している人も多数いるので、今回のことは余計に言いにくい、発言にメリットがない事件でしょう。 

 

結果、それぞれの立場を守るためにも、何も言わない。

 

これって、いじめの実態そのものだと思うんですよ。

 

世論を圧巻しているイジメる側は、その行為に疑問を持たない。

そこに疑問を持つ少数派も、リスクとベネフィットを天秤にかけた時に、リスクが大きすぎる場合、沈黙を決め込む。

 

ミュージシャン仲間だけでなく、ファンの方々の真剣な声なども拾えていない状況は、とても残念に感じています。

 

最後に

もう1度、この話の原点に戻ります。

 

・過度の小山田圭吾バッシングは正当な裁きではない。

・バッシングと傍観に徹する人々こそが「いじめ」が無くならない根本原因を体現している。

 

私はこのイジメの真相を知りません。それは皆さんも同様のはずです。だから、真相を確認する努力をしなくてはならないはず。犯罪者を決定するのは裁判ですが、裁判ではそれぞれの弁護を聞き入れた上で、判決がなされます。

 

ところが、弁護士が2ちゃんねるニュースを引用して、年賀状の件を断罪するツイートまで見ました。憂うべきことだと思います。

 

もちろん、楽観的にオリンピック・パラリンピックの仕事を引き受けた小山田圭吾にも問題がある。過去にも問題がある。そこに異論はありません。

 

その上で、3つに絞り込んで意見のまとめとします。

 

1. 善悪は常に表裏一体

誰かにとっての善が、誰かにとっての悪である可能性は常に捨てられません。もちろん世の中では時に悲惨な事件が起こるのですが、そこで強烈な憎しみと、その反動としての正義感に支配されると、また同じことが繰り返されます。現代の空虚な偽善による攻撃も、本当にしんどいです。今回のことをきっかけに、むしろ知的障害者に対しての悪影響さえ考えられます。接する側が、何か一つでも社会的な悪を突きつけられることのリスクから、本当のコミュニケーションが取れなくなる可能性も否定できません。

社会的な善悪基準によって監視され、インターネットで総攻撃を喰らう社会。本当にあなたにとっての理想ですか?

 

2. 悪を叩き潰すことでは何も変わらない

善悪は常に表裏一体だからです。もう一度ここで問います。誰が沢田さんを救えたのですか?小山田圭吾を叩き潰すことで、沢田さんは救われたのですか?

 

悪と判定する根拠を切り取られたニュースに依存することは、とても正義とは言えません。それは正義どころか、新たないじめです。インフォデミックの恐ろしさを認識して欲しいです。感情的になる前に、確認すべき不透明な情報が多々ありました。

 

3. 叩き潰す悪があるとしたら、それは自分の中にしか存在し得ない

インフォデミックに煽られて熱狂する人々、意見があっても傍観する人々が、これを表しています。しかし悪を叩き潰すことでは何も変わらないのは、自分自身にも言えることだと思います。清廉潔白な人など存在し得ません。だからこそ、断罪する前に、もっと配慮が必要だったと思います。

 

 

私たちは、生まれたところや皮膚や目の色で差別をすることが、昔と比べて減りました。私は、それが社会が強制しているからに過ぎないと思います。現在は現在で、根強く人間の差別、ヘイトは残っています。それが今回の事件ではっきりと噴出したと思います。レイシズムや性差別は、別の形に姿を変えただけ。

 

 

小山田圭吾の音楽の才能は非常に素晴らしいものだと思います。知らない方は、一度見てみては。

 

 

これは好きなPVです。音も、歌詞も、辻川幸一さんの映像も、素晴らしい。

 

事実の詳細が明るみになった時に、私の読み違えだったとなる可能性もありますが、それでも私は小山田圭吾の音楽を聞きますよ。

 

「こんなやつが生み出した音楽は聞けない」というなら、それこそ人種差別や部落差別と何も変わることがないでしょう。かつて小山田圭吾の音楽を良いと感じていたなら尚のことであり、それは情報ひとつで自分の感受性を反転させたということです。差別とは、そういうことだと思います。

 

長くなりましたが以上です。昨日(19日)の朝の10時から書き始め、そのうちにオリンピック辞任が決まり、日にちをまたいで、もう20日の夕方の5時になってしまいました。飯作ったり、子供と風呂入ったり、タバコ吸ったりの時間以外、全力で考え、書き続けました。

 

(それから夕飯と風呂のあとに読み返して文章直して、現在21時40分。丸24時間以上かかりました、、、)

 

新たな視点を得てくださる方、共感者がちょっとでもいてくれたら嬉しいという期待は持ってますが、思っていることを丁寧に整理して、書いただけです。書いてアウトプットしないと、今回の件は悲しさと憂鬱感に負けそうでした。

 

小山田圭吾の過去は、誰しもが形は違えど、同質のものを心に持っている。それを皆が認識することが、いじめが無くなる唯一の手段かと。小山田圭吾のような発言が流通しなくなっても、結局は現代でもいじめは無くなっていないことが、それを証明しているでしょう。

 

今回の件においての空虚な正論を振りかざす大人達に対して、かつての小山田圭吾のような若者は、冷ややかな目で眺めているはずです。

 

—追記①—

バッシング勢も追記しときます。ベテランラッパーのKダブシャイン。

東スポのクソ記事をわざわざシェアしつつ、もう死んじゃうからやめてやれと、薄ら寒い偽善。

 

そのあとの、ナチスの迫害と鬼畜呼ばわりを追撃シェア。

 

相方のZeebraも、かなり男らしくない、みっともない批判。

 

ZeebraとKダブなんて、過去を掘り返されたら小山田圭吾以上のものがワンサカ出てきそうですが……

 

—追記②—

 

私は音楽業界に関しては大したことを知りませんが、医療(現代、代替ともに)や自然療法などの健康分野の業界には相当詳しいです。小山田圭吾が霞むくらいマズイ人達はゴロゴロいます。今回は意図的な露悪が大拡散されただけであり、ひっそりと自覚なき悪事を働く人は大勢います。また今度詳しく書きます。

 

—追記③(7/21)—

クイックジャパンのインタビュー全文を発見!

 

やはり小山田圭吾に(世間がバッシングするほどの)罪はないです。なーんだよ!って感じ。

超思い詰めてブログ書いたのに(笑)

 

 

ま、これでも叩いた人々は自己正当化をするんだろうな。

 

—続き—

小山田圭吾さんが『月刊カドカワ』でもいじめ自慢?

 

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