小山田圭吾さんが『月刊カドカワ』でもいじめ自慢?

画像はこちらよりお借りしました。

 


 

前回のブログから2週間以上が経過してしまいました。

善悪は常に表裏一体 (小山田圭吾さんのいじめ問題より)

 

これまでの当サイトのアクセス数の総合1位は3年前に書いた占星術(ホロスコープ)の記事だったんですけども、もう抜きそうです。

 

 

続きを書こうと決めたのは、アクセス数が多かったからではありません。この騒動をきちんと分析して、皆さんに伝えたい理由があります。

 

しかし取り組んでみると表現に困難を極めるテーマだなと、、、事実がどうだったのか分かりませんし、解釈は個人の受け取り方でいくらでも広がってしまうので、結局のところ推測にしかならないんだよなぁと(^_^;)

 

悩んでいるうちに、2週間以上も思考と情報収集に時間を使ってしまいました。ワクチンのセミナーを始める予定だったのが、私の思いつきで何の収益も得られない小山田圭吾問題に長時間取り組んでしまってますから、狂気の沙汰です。

 

妻の悦子は、そんな愚行を犯す私に対してフグのようにパンパンに顔を膨らませながら床に落ちていたダンボールを私に投げつけてぶち切れ、家の外に鍵をかけて締め出されるという事件も先日発生しました(笑)

 

……っていきなり何を書いているのかという話ですが、↑の妻が切れたエピソードは話は、このブログ連載の主題の伏線です。

 

・妻がフグのように顔をパンパンに膨らませて怒っていたこと

・私にブギきれて床に落ちていたダンボールを投げつけたこと

・鍵をかけられたこと

 

この3点は先日起こった我が家の(私たち夫婦の)事実なのですが、若干の嘘を混ぜ込んで誇張してます。これが何を意味するのかは(後日、別記事で)説明します。

 


 

—–目次—–

・私は小山田圭吾のファンか?

・なぜ小山田圭吾ブログを書き続けるのか?

・前回のブログからの経緯

・「何を言うか」ではなく「誰が言うか」の状況

・月刊カドカワ1991年9月号を検証

・嫌がらせが悪い経験とは限らない

・迫害と復讐という言葉

・次回予告

 


 

小山田さんがいじめを語ったとされる音楽雑誌は以下の5つがあるようです。

 

・月刊カドカワ1991年9月号

・ロッキングオンジャパン1993年9月号(vol.75)

・ロッキングオンジャパン1994年1月号(vol.80)

・クイックジャパン 1995年8月号(vol.3 )

・月刊GiGS  1996年2月号

 

これらの全てを、原文を引用しながら余さず検証していく予定です。今回の記事はまず91年の月刊カドカワから始めますが、その前にいくつかの必要なことを説明します。

私は小山田圭吾のファンか?

あんなクソ長いブログをわざわざ投稿してますから、一部の人々より「ファンだから小山田を擁護するんだろ」と指摘されています。

 

情報の正しさを、「発信者がファンか否か」で測ろうとする人々は、「何を言うか」よりも「誰が言うか」を重要視していますね。要するに、公平な態度とはかけ離れた差別偏見の塊だと考えられます。

 

従って、「ファンだから擁護するんでしょ」と発言している人間は基本的に疑った方がいいですよと皆さんにお伝えしたいところですが(笑)、一応自分がファンなのかどうかを前回書かなかったので、明示しておきます。

 

私は中学3年(97年)の時に、コーネリアスの「ファンタズマ」という名盤に出会いました。私は中学3年から音楽を聴くようになりましたので(CDを初めて買ったのが中3)、音楽の細かいことは何も分からず聴いたのですが、「何のジャンル」とひとことで全く表現できないボーダーレスな音の世界に非常に魅了されました。

 

 

この曲はPVも含めて中学3年の時から今も大好きで、当時から今に至る20数年間で、余裕で数百回は聴いてますね。私は小山田圭吾さんの音楽が好きです。

 

ただ、私はこれ以前の小山田圭吾は追っておらず、同じようにこれ以降も追いませんでした。

 

おまけにフリッパーズギターってカジヒデキみたいなもんなのか?とか若い頃は勝手な誤解をして、「そんな女々しい音楽は聞かん」という態度でした(笑)。

 

トップ画像にお借りしたフリッパーズのファッション、あれだけで中高生の頃の自分は受け付けない感じ。軟弱そうだから(笑)。

 

渋谷系全般に興味がなくて、トラットリア(小山田さんが主宰したレーベル)も、たぶん(自分とは全く違う)オシャレでインテリなリア充が聴く音楽だろとか、これまた勝手な妄想により興味を持とうとしなかったです。

 

陰気な中高時代に好きだったのは、暗くてマイナーなロックやストイックなミニマルテクノや音響系だったので、FPMとかピチカートファイブのような華やかでオシャレな音楽は、「別に嫌いじゃないけど軽視しておかなくてはいけない」みたいな心情だったんですよね(笑)自分の状況にフィットしなさ過ぎるから。

 

そんな感じで、フリッパーズ・ギターのことも全く知ろうとも思わなければ、コーネリアス初期も、最近のコーネリアスも知らず、海外で評価が高いとか、NHKのデザインあに関わってるとか、サ道というドラマの主題歌担当したとか、このオリンピック騒動まで全く知らなかったです。

 

そんな感じですから、私はファンという立場ではなく、あのブログを書いたと言って間違いないでしょう。

 

実際、小山田さんの歴史について知らないことが多すぎるので、これから私が書く小山田さんのことについて、コアなファンの方々からは何か間違いがあればご指摘頂きたいし、理解に有用な情報があれば教えて頂きたいと思ってます。

なぜ小山田圭吾ブログを書き続けるのか?

自分が中学3年の時、友達もおらず、何ひとつパッとせず、人生の中でかなり陰鬱な時期だったのですが、ファンタズマは生活に楽しみを与えてくれた、当時の私にとって大事な友達みたいなものでした。

 

その音楽そのものと、作った人を擁護できればという気持ちは持ってます。

 

擁護したいと思う理由は、「小山田さんは悪いことをしたけど、あまり責められないように擁護したい」ではありません。

 

そもそもの話、小山田さんはここまでの誹謗中傷を受けるほどに悪いことをしていないと思うので、誤解を含む情報を整理するべきだ」という意味合いでの擁護です。小山田さん自身を無条件に庇いたいというのではなく、おかしいのは小山田さんではなく社会や大衆だと私は思うので、情報を整理して、結果的に自分の好きな音楽をつくる小山田さんの立場が擁護されたらいいなと考えています。

 

いじめ行為は当然ながら肯定していません。(いじめを肯定している人は、議論の中に誰もいないはずです!)。

 

もし「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして・・・・・ごめんなさい」が小山田さんがしたことであれば、それはかなり酷い話だとは思います。しかし、その真実は現在のところ定かではありません。

 

小山田さんの問題発言を掲載した各出版社についても、発言と異なることを文章化してしまったのならば、問題化してしまった以上は説明した方が良心的とは思います。しかし、小山田圭吾さん本人と同様に、出版社側もここまでの制裁を求められる理由はないと私は考えます。

 

明らかに問題なのは、情報に翻弄され、不毛なヒステリーを起こし、自分ではない誰かにしつこく責任追求をしている大衆です。

 

それが正しい見解だと私は考えますが、部分的な情報だけ追っても理解できませんから、問題の雑誌の全てと、その周辺情報まで解説していくことにした次第です。

 

まあ擁護とか、大衆が悪いんだと言うと反発もあると思いますから補足しますが、今回の騒動を深く理解することによって、きっとすごく良い勉強になると私は考えています。人間の感情とか、意識について。または情報を読み解くことについて。それもブログ連載を書く大きな動機です。

 

過去記事見てもらえれば分かりますが、私は情報分析に関してはテーマを選びません。科学論文や生化学の分析もしますし、占星術も分析しますし、うっかり1万円払って行ってしまった速読術セミナーのインチキの仕組みを分析したりとか(笑)

 

エネルギーから眺める生物、脂質、免疫

「マスクで低酸素血症にはならない」〜崎谷博征先生、マスクが危険って本当ですか?その1〜

オメガ3油は「塗料」です

陳建一、麻婆豆腐、前衛的な表現者たちを、魚座29度のサビアンシンボルが繋ぐ

魔法のメソッドは存在しない。 〜速読術セミナーレポ〜

 

ボーダーレスに興味を持ちますが、何事も深く追求するのが自分の仕事です。

 

今回の騒動は、小山田圭吾さんの問題発言があったとされる雑誌を深く読み解き、ネット情報や報道に反応する人々の様子を観察すると、人間の感情や意識について、とても勉強になると思うのでブログを綴ることにしました。

 

人間の感情や意識について、深く追及してこそ得られる見解を「こう見えませんかぁ?」と提示したいのも、大きな動機です。

 

ちなみに「こう見えませんかぁ?」は生意気言ってるのではなく、伏線ですのでよろしく(笑)

前回のブログからの経緯

ツイッターでは小山田さんの問題に関していくらかの発信をずっと続けていますが、ブログ読者さんの中にはツイッターを利用しない方も多いと思いますので、前回のブログからの経緯を少し説明します。

 

善悪は常に表裏一体 (小山田圭吾さんのいじめ問題より)

 

このブログをアップしたのは、7月20日の21時50分です。

 

—追記③(7/21)—

クイックジャパンのインタビュー全文を発見!

やはり小山田圭吾に(世間がバッシングするほどの)罪はないです。なーんだよ!って感じ。

超思い詰めてブログ書いたのに(笑)

 

7月21日にクイックジャパンのいじめ紀行の全文を読むことが出来たので、最後に追記と全文写真へのリンクを加えました。

 

この後の7月23日に、いじめ紀行の企画に関与していた、当時の太田出版(クイックジャパンの発行元)の編集者であった北尾修一氏がブログを発表します。

 

いじめ紀行を再読して考えたこと1〜3

イントロダクション(7月20日投稿)

90年代には許されていた?(7月23日投稿)

「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか(7月23日投稿)

 

1〜3まで、全てにおいて重要な情報と見解が含まれています。これを読まないと今回の騒動について正しい理解ができないはずです。

 

ただ、これらはすでに7月31日に無料公開終了となっています。上のリンクは、誰が作ったのか知りませんが「魚拓」です。魚拓で読みたくないという真面目な方や、百万年書房を応援したいという方はこちらのリンクから400円で購入してください。魚拓のリンクはもし北尾修一氏から削除要望があればすぐに削除します。

 

この3つの記事の中の「②90年代には許されていた?(7月23日投稿)」が決定打となり、状況は一転しました。

 

記事内容は、私のブログでも説明した「孤立無援のブログ」が悪意を持って情報を編集しているという話と、小山田圭吾と沢田くんは友達だったのであろう(単純な加害者と被害者の関係ではない)という話です。

「何を言うか」ではなく「誰が言うか」の状況

北尾修一氏のブログは7月23日の午後0時48分に投稿されました。

 

 

一定数の方々が騙されていたことに気づき、沈黙していた人も声を上げ始めたり、声を上げずともリツイートやいいね等の拡散に走りました。

 

 

私のブログも、アクセス数が上がったのは明らかに北尾修一氏の影響です。20日にブログを投稿して、21日にわずかなアクセスがあったのみ、22日にはもう低下していたのが、北尾氏のブログ投稿後に爆上がりでした。

 

 

時間帯で見ても明らかで、北尾修一ブログが投稿されたあとの午後1時より急上昇。

 

「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が世間では重要視されていることが可視化されたかなと思います。北尾さんは「いじめ紀行」に立ち会った編集者さんですから、説得力があります。私は全く存じませんでしたが、数々の著名人へのインタビューや書籍の出版等の実績があるようです。

 

 

私のツイッターでは8月5日時点で92件のリツイート、37件の引用リツイートがありますが、引用リツイートは1件以外、全て「アフター北尾修一ブログ」です。

 

 

私は小山田さんの謝罪文が発表された翌日(7月17日)のバッシングが最高潮だった時から意見をハッキリと出してますし、すぐに断片的な情報から孤立無援のブログのデマを指摘しているところ、クイックジャパン全文を入手する前に、「ビフォー北尾修一ブログ」であの記事を書けたことは、評価してもらえたらなと。

 

ファンの人は自分達の居場所や過去を守るために擁護する人もいると思いますが、私は説明した通り全く違います。むしろ、一部のファンの方とか、小山田圭吾関係者から(なぜか!)批判を受けたりもしてますんで。

 

世論に流されることも無いですし、守るべき立場もない(中立)ですし、自分で思考を重ねて出した結論を書いていきます。

 

と、自己アピールで長い前置きを終わります(笑)

 


 

月刊カドカワ1991年9月号を検証

では本題に入っていきましょう。

 

小山田圭吾が最初にいじめ自慢をしたとされる、月刊カドカワ1991年9月号です。小沢健二と組んでいたフリッパーズ・ギターというユニットの解散直前の時期です。

 

 

J-CASTニュース
小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」
7/19(月) 17:34配信

 

J-CASTニュース記事から、いじめ自慢に該当する部分を以下に引用します。

 

 小山田氏は、『月刊カドカワ』1991年9月号でも、同様のエピソードを話していた。

「『小山田君の嫌なこと』とかいうタイトルで…」

 小山田氏は、「フリッパーズ・ギター(編注:小山田氏が所属していたバンド) お洒落な不遜」と題したインタビューで、幼稚園での思い出として「○○ちゃん(伏字は編集部)ていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな」と語っていた。

 

この部分に問題があるとすれば、知恵遅れの子を引っ叩いている幼稚園の先生ですね。とは言っても、引っ叩くがどの程度なのか不明ですから、先生が問題かどうかも分かりません。軽く叩いて子供をしつけるのは普通のことで、悪いことではありません。

 

次が問題の文章ですが、

 

 小学生では、同級生へ執拗に嫌がらせをしていたと明かしている。

 

ここは要注意です。タイトルは「いじめ自慢」ですが、ここでは「嫌がらせをしていた」となっています。

 

「小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、『小山田君の嫌なこと』とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」

 

これを見て大真面目に「小山田圭吾が深刻ないじめをしていた」とか「いじめ自慢を笑いながら話すのが不快」と感じる方がいるのでしょう。しかしよく読んで頂きたいのですが、この文章には「いじめ」と一言も書いてません。

 

さらに、もし小山田さんがこの「別に人気者じゃないヤツ」を深刻にいじめていたとして、そんなものを文集に書けるわけがないですよね?誰が書いたのか分かるのですから、余計にいじめられるじゃないですか?

 

実際、「そいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」と小山田さんは話しています。これ、小学校高学年なら容易に想定できますよね?

 

その復讐を受けても大したダメージなど無いと、この「別に人気者じゃないヤツ」は思っているはず。

 

というか、意気揚々と文集に『小山田君の嫌なこと』を暴露して、公然と小山田圭吾に攻撃したいと思えるくらい芯の強い子ですよ。いじめの加害/被害関係とはとても言えませんから、J-CASTニュースも本文中では「いじめ」という表現を使っていません。

 

先生も親が見る文集への掲載を普通に許可しているわけですから、「面白い、なかなかやるな〜」くらいに思ってたんじゃないですか?少なくとも、問題がないから文集に掲載するわけです。

 

双方にとって大人になったら良い思い出くらいの、微笑ましいエピソードでしょう。男子なら分かると思いますが、悪口や悪戯は挨拶みたいなものです。

 

そもそもこれ、タイトルが「お洒落な不遜」です。お洒落な人が不遜を語ることが、当時の読者のニーズのひとつだったのでしょう。企画とタイトルは当然小山田圭吾ではなく、月刊カドカワです。

 

小山田さんは取材に応じただけで、当時はこの記事を誰も咎めなかったのでしょう。ここで掲載内容を確認したように、記事内容にも特に問題はありません。だから角川書店も謝罪などをしていない(謝罪する必要などない)。

 

じゃあ何が問題なのかというと、こんなものを「いじめ自慢」だとニュースにしているJ-CASTニュースと、煽られてヒステリーを起こす人々の思考でしょう。

嫌がらせが悪い経験とは限らない

ちょうど私も、小学校卒業アルバム内の文集での「嫌がらせ体験」があるので、お話ししましょう。

 

「かっこいい男子(かわいい女子)トップ3」とか「頭のいい人トップ3」とか、クラスの子全員で投票をしてランキングを掲載する企画が卒業アルバムに掲載されたんですね。95年のことなんで、ちょうどクイックジャパンの「いじめ紀行」が掲載された頃ですね。

 

そこに「態度のでかい人トップ3」というランキングもあって。1位はまあまあ納得の男子だったのですが、2位がなんと私でした(笑)

 

このブログを今読んでいる皆さんは「そりゃそうだ!態度でかいもん」とお考えになるかもしれませんが(笑)、小学校6年時の私なんて、ただの地味な日陰キャラだったんですよ。よく喋る方でもないし、でかい態度なんて取ってない。本当に(笑)

 

実際、私の態度がでかいと思っていたクラスメイトはそんなに多くは無かったはずです。

 

自分では納得がいかないのですが、一部の男子クラスメイトから「ほらみろ〜!」みたいな感じで煽られ、何か謀略にかかっている気はしつつ、「偉そうなことなど全く言ってないはずなのに、なんで俺が2位なんだ…..」という落ち込みがありました。1位の男子は、明らかに偉そうな発言をしている奴だったので、分かるんですが。

 

「あれはなんだったのか?」とずっと気になっていたので、それから20年以上経過して開かれた同窓会で「俺ってそんなに態度デカかったの?」と聞いてみたんですよ、同級生に。

 

そしたら「ああ、あれは◯◯がみんなにお前の名前書けって触れ回ってたんだろ」と。やっぱり謀略だったわけです。前回の記事で、私自身が軽くいじめられた経験ならあると書きましたが、◯◯はその首謀者でした。

 

20年以上経過して、やっと謎が解けて、ああ良かったって感じですよ。本当に地味男子だったのに、態度のデカさに気が付かなかったのか?!と結構悩みましたから(笑)

 

今となって分かることなんですけど、私は当時は本当にデカイ態度なんてとっていなかったのですが(しつこいか 笑)、権力に容易に屈しない性格は昔からなんですね。そこが、当時のやんちゃなボス的存在には気に入らなかったのでしょう。命令に従いませんから。

 

さてこの話から何が言いたいかというと、もし私に嫌がらせを仕掛けた犯人を当時知ったとしても、私は反撃しようとは思わなかったはずです。私は1人で、相手は◯◯を含めた複数だから、勝ち目がないんですね。

 

あとは、反撃を試みると目立つので、恥ずかしくて嫌だという気持ちもあったと思います。目立ちたくなかったので。

 

だから文集に『小山田君の嫌なこと』を暴露した子は、強い子だし、小山田さんと対等な関係だったのではないでしょうか。犬猿の仲だけど、別に深刻じゃなく、それも遊びというか。まあ、大した話じゃないだろうってことです。受け取り方次第で如何様にも想像できるので、異論はあると思いますが。

 

このケースにおいては、小山田さんと文集で暴露した子は、いかに相手に勝つか?みたいな知恵を小学生らしく働かせる訓練になったり、悔しさ、屈辱、恥ずかしさなどを味わったり、お互い様だと認めあうことに繋がる良い体験だったと私は思うんですけどね。

 

私は『小山田君の嫌なこと』を書いた子よりも根性がなかったので反撃できなかったのですが、別に今となっては、人生のただの1コマです。むしろ必要な経験だったと捉えています。「権力に逆らうと酷い目に遭う」のは大人になっても同じですから、子供時代に知っておいた方がいい。それが聞いた話ではなく、身を持った体験である方が良い場合もあります。

 

大人になってから初めて経験するのでは適応できませんから、心が折れてしまいますよ。

 

「いじめ」か「いじめではない」かの境界線はかなり曖昧で、「いじめ」と「嫌がらせ」の境界線と定義も曖昧で、「嫌がらせ行為」が一切無い社会も不自然であり、それが良いとは限らないことは、認識しておくべきでしょう。

 

多少の嫌がらせをしたり、されたりして、自分と相手の至らないところと向き合って、反省したり、罪悪感を抱えたり、またのちに仲直りしたりなどの経験が無いと、人間としての成長の機会が奪われます。

 

そのほか、高校でのエピソードとして、「K(編注・小山田氏はインタビュー中で「知恵遅れ」と表現)は鼻炎だから、いつも鼻をかんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュを買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた」などと話していた。

 

話を月刊カドカワの文章に戻しますが、これはクイックジャパンのいじめ紀行で語られている沢田君のエピソードと同じものです。QJを読めば友情と分かる話ですが、この文章だけでは、なんとなく知恵遅れをバカにしたような雰囲気を感じられるのかもしれません。

ただし、これはJ-CASTニュースが引用した切り抜きです。私は月刊カドカワの全文を確認したわけではないので分からないのですが、やはり部分的に切り抜いたことにより、印象が悪くなっているような気がします。

迫害と復讐という言葉

この記事内には、人々の感情を刺激する2つの文章があります。

 

“ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。”

“だからそいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)”

 

この「迫害」や「復讐」などの言葉に過剰反応した方が多いのではないか?と思ってます。

 

私はウケ狙いで大袈裟に「迫害」とか「復讐」という言葉を使っているのだろうと、すぐに認識します。「小学校人生全部をかけて」なんていかにも弱そうな表現、ジョークじゃなくて、どうやって使います?

 

しかし、Twitterでの反響を見ていると、皆さん大真面目に拡散されています。ジャーナリストまで。

 

これはどうしてかと言えば、先入観が入ってしまったから、世論の煽りを受けているからに他ならないでしょう。「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップ」が脳を支配して、嫌悪感と正義感を狩り立て、冷静さを奪っているはずです。

 

繰り返しますが、それが本当に小山田さんが行ったことであれば酷い話だと思います。それは順に検証していきますので、ここでは一旦置いてください。

 

J-CASTニュースの記事の「いじめ自慢」というか、「お洒落な不遜」話を読んで、そんなに悪意を感じますかね?

 

まあ好き嫌いは当然あると思いますよ。しかし世間から裁かれるほどの問題があるようには、私にはとても思えません。全文読めたらハッキリする話だと思うので、誰か持ってたらアップしてください(笑)

 

とりあえず「月刊カドカワ1991年9月号」については、いじめ自慢として報道したJ-CASTニュースにこそ悪意を感じますね。そして無邪気にヒステリックな反応をしている方々は、正直アホだと思ってます。一番の問題であり、理解力に欠けることを反省するべきじゃ無いでしょうか?

 

今回のオリンピック騒動からの先入観と刷り込みがなかったら、誰もこんな記事で大騒ぎしないですよ。30年前は何も問題が無かったものです。今の基準でも、いつの時代でも許容されるべきレベルの表現だと思います。

 

この程度の表現を許さない風潮が強まれば、本音や冗談が言えない息苦しい社会が形成されていきますよ。自分達の首が絞まるだけ。

 

本来、こんなにも大真面目に検証しなくてはいけない内容ではないはずで「俺、何やってんだろ、、、」という鬱屈とした気分と戦いながら書きましたが、以上、長めの前置き + 「月刊カドカワ1991年9月号」の検証でした。

 


8月6日 15:30追記

 

 

カドカワのインタビュー4ページ分を掲載してくださっている情報を早速頂きました。読んでから、ここに追記をする予定です。今回連載を書くにあたってかなり参考にさせてもらったアカウントですが、フォローしてなかったので気づきませんでした。

 

8月10日2:05追記

原文を読んであまりにたくさんのことを書きたくなったので、別記事としてアップしました。すごく面白いと思うので、ぜひ読んで欲しいです。

好意的な関心を持って初めて理解できることがある(小山田圭吾さん91年のインタビューより)

 


 

次回予告

時系列的には、次は「ロッキングオンジャパン1993年9月号(vol.75)」となりますが、長くなりそうなので、先に「月刊GiGS  1996年2月号」の検証をしたいと思います。

月刊GiGSのインタビュー内容が、東スポにかかるとこんな具合です。さて、どれほど残虐なのか?乞うご期待(笑)

 

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