↑数年前に影響された本です…。浅慮だったと今は思っています。それを踏まえての今回の記事です。
「お薬に頼らない子育てを応援」と活動している私。
予防接種の講座も開催していますので「現代医療よりも代替医療派」という印象があるのかなと思っています。
確かに当時の私は現代医療に疑問を持ち始めたことがきっかけで今の活動に至ったわけですが、代替医療も同様な問題があり、これは非常に重要なことだと思ったのでこのことについて今回は綴ってみようと思います。
どちらも「自分たちがやっていることが善」という意識があることが、その問題の根底だと考えています。
とっても長い記事になりましたが^^;大切なことを書いたと思っています。よかったらご覧ください。
看護師を10年していた私。大学病院では整形外科、ICU(集中治療室)、手術室での勤務経験があります。他には中規模の病院、婦人科クリニック、介護施設でも働いてきました。
当時は看護師という仕事が本当に大好きで、患者さんと接することに何よりもやりがいを感じ、目の前の患者さんに私が提供できる看護とは何か、と常に考えていました。
いつしか「患者さん」という意識で目の前の方と接している自分に違和感を感じるようになり、患者さんという状態になる前に私自身が何か出来ることがあるんじゃないか… と、そこから自然療法と呼ばれる世界に興味を持ち、アロマセラピー、リフレクソロジー、整体系、ハーブ、ホメオパシー、食事療法(マクロビなど)といった、自然療法、代替療法と呼ばれる世界にのめり込んでいきました。
どうしてのめり込んだかといえば、西洋医学では重視していない何か本質的なものが代替医療の世界にはあるように見えたのですよね。
患者さん一人ひとり、その人の体質を理解し、本当の意味で治癒できる世界がそこには存在しているように。
結果を先に書きますが、体質を理解する、という考えがそもそも間違っていました。その体質さえも結果にすぎません。遺伝子異常も然りです。詳しくは悠馬さんのこちらの記事を。
そして子どもを産んだことも重なり「お薬になるべく頼らない子育て」を推奨すべく活動も始めました。
この頃の私は「現代医療は悪」という意識が少なからずあったと思います。現代医療の在り方に疑問を投げかけている医師のSNSからの影響も大きかったと思います。(そのまま鵜呑みにしてしまった私の問題です。)
確かに、現代医療にも問題はあると今も考えています。過去に子どもの健診の様子でも綴っています。
ただ、だからといって代替医療の世界は「人の健康、命を左右する」ということへの意識は現代医療よりも低いのでは…
今はそう感じています。
私のたった10年間という看護師経歴の中での話となりますが、特にICU(集中治療室)や手術室はやりがいを感じながらも、命に直結するその重圧がとても苦しく。人生で最もストレスの大きい頃でした。
現代医療の医師たちにとって自分の選択が患者さんの命にダイレクトに左右するということは当たり前の事実だと思います。命を救うために、その症状を一時的に抑える薬や治療はもちろん必要です。
その反面、目の前の患者さんを見ず病名ばかりを見て薬を処方するのみ、診療ガイドライン通りの一方通行の診察…。そもそもその症状や病気がなぜ起こっているのかといったことを追求する医師に出会うことは少なかったです。
ただ、代替医療を取り入れた病院で勤務もしましたが、便秘という主訴があれば皆に同じ漢方を処方。現代医療と用いるアイテムが変わっただけでした。
これは分子栄養学などを取り入れ、一見「根本治癒をしている」と謳っている病院も同じと思っています。例えばアトピー患者さんにオメガ3やプロバイオのサプリを処方。オメガ3に関しては後述しますが、これらは根本治癒もなければ体質改善にもなりません。
私自身、ステロイドという薬を長年使い続けたことによる影響を強く感じています。もちろん、その症状の本当の原因は私自身だと思っています。そのことは過去にブログで綴っています。
ただ現代医療の多くがアトピーにはステロイドで症状抑制、という短絡的な考えの結果、その後の症状に悩んでいる患者さんが多いのは事実だと思います。もちろん中にはステロイドを一時的に用いて治癒した患者さんもいる。その違いを追求しないからこそ、これだけ混乱が生じているのだとも思っています。
これは代替医療も同じ問題を抱えています。
話を戻しまして…
そんな現代医療の世界を一括りにし「そもそも現代医療の仕組みが問題」という根拠が曖昧な情報を精査することなく鵜呑みにすることは、非常に危ない思考だと思っています。
その結果、代替医療を推奨している側は自分たちの行なっている療法(情報)を「私たちは社会にとって良い行いをしている」といった考えになりやすいと思います。
私にも、そういった気持ちがあったと思います。
・社会の問題を知っている(と思い込んでいた)自分
・問題を知らない大多数の人
だからこそ啓蒙しなくては!という謎の正義感。
例えば「砂糖が良くない」といった、根拠も不明な情報を精査することなく提供する。そこで砂糖を絶ったからといって命に直結するわけではないので大きな問題になることはありません。
でも、そういった根拠も不明なことを伝えることで現代医療側からは問題視され代替医療との壁はさらに高くなる。
本人にとっても砂糖が入ったものは美味しいと感じているのに「体に良くないもの」という刷り込みが入ることで制限を始める。
その間違った認識を良かれと思い、家族や周りの人に啓蒙し始め、身近な人間関係にも問題が生じ始める。結果、本人にも家族にもストレスが生まれる。
そもそも間違った認識を押し付けているという、その問題の本質が自分にあるにも関わらず、自分が問題だとは認識できない。
なぜならは「自分は家族のためにしているのに…」と思い込んでいるから。
健康上、大きな問題となるのがオメガ3。
「オメガ3は抗炎症作用があるから良い」という謳い文句で推奨している方は代替療法や自然療法を選択している場合、非常に多いです。
ただ、その抗炎症作用は免疫抑制作用。それを不自然な形で慢性的に摂取することは長期的に考えた場合、非常に大きな問題となります。
一時的に症状が抑制されるケースもあると思います。でも、それは本当に治癒したのか?もちろんNOです。免疫が抑制されただけにすぎません。
厚生労働省の統合医療情報発信サイトにも、オメガ3サプリの有効性は確認されていないとのことです。
でもここで「体によい」という刷り込みが入ることで、植物油という不自然な形での油の摂取量が増えることはよくあることです。これは非常に大きな問題となります。
■油(脂質)の摂取量が増える
■植物油という不自然な形で摂取する(さらにオメガ3はサプリという形で摂取する)
■食事が不自然な形で偏り始める
その結果、代謝されない脂肪は過酸化脂質となり、免疫抑制作用だけにとどまらず体のエネルギーを作る力にも問題を引き起こします。
これは慢性炎症の要因となっていきます。
(アトピーなどの皮膚炎、アレルギー、甲状腺機能異常、自己免疫疾患、てんかんや自閉症などの脳機能障害、生理痛や不妊など)
本人は「体によいことをしている」「食事に気をつけている」「勉強している」という認識があるのにも関わらず不調が良くならない。それを提唱した治療家に訴えても「意識が足りない」「小麦がいけない」「砂糖がいけない」等と言われ「食べるものがなくなる…」とストレスが増える。
その結果「健康に気を付けた方が体の不調が増えるから、笑顔でジャンクフードを食べている方が健康」「お母さんがイライラして料理するより笑顔でお惣菜を買った方が健康」「信じるものが違う」といった謎の精神論が展開される…
こちらのブログ記事は脂質について非常に勉強になる記事です。科学的根拠も明確に書いています。
私自身「オメガ6は炎症を起こす油だから控え、オメガ3は炎症を抑える油なので大切です」と過去にはお伝えしている時がありました。当時は自分自身の知識不足を全く認識していませんでした。
これが健康に関係のない仕事ならまだしも、健康に寄与する、むしろそれを講座という形で対価をいただいていたわけです。
過去の私も含め代替療法の世界は、発信している内容が人の健康にダイレクトに関わっているということへの意識が非常に低いと感じています。
特に食事に関しては
・科学的根拠もなく発信する
・効果が不明なサプリや食品を勧める
・基準値の根拠も不明な自費診療の検査をして指導する…等
現代医療の医師たちから「トンデモ」と比喩されるのも仕方のないことだと思います。
さらに代替医療側の問題点は、現代医療のあり方を「問題」とすることで「自分たちの行なっていることは善」というマインドになりやすいことだと思います。大きな敵、大きな問題に立ち向かっている、といった具合に。
「社会のために私は活動している」と思い始めた時も要注意です…
これは以前の私がそうだったのですが^^;そういった時はなぜか自分が行なっていることに疑問を持ちにくくなると思います。
だからこそ、そこで問題を指摘されても真っ当な議論が成立しにくい。なぜならば「自分の行なっていることは社会のため」だから。
自分は良いことをしている。社会のために啓蒙している。現代医療から気づく人を増やしている。
健康のことを扱っている場合、この思考は非常に危険だと思います。啓蒙と思い込んでいる内容が健康上に問題が生じると指摘しても「現代医療が行なっていることが問題」という意識がある故に自分が間違っているかも、という視点が欠けてしまう。
自分が善と思い込むことで別の意見を排除する。
それは本当の意味で社会のためになるのでしょうか…
今回の記事は私自身にも喝を入れる記事でもあります。
愛知にいた頃の私は、健康のこと、食のこと、身体のこと、伝えている情報の内容に対し浅はかな知識だったと反省しています。
そこを認識することなく「人それぞれ」「多様性」「どの意見も正しい」「立ち位置が違うだけ」と結論づけていました。
それは何よりも自分が楽だったのですよね。 それ以上、考察する必要がない。自分の知識が浅はかであることに向き合う必要もない。
そしてなぜか参加してくださる方に好感がもたれることが多い。「多様性を尊重している人」といったように。
悠馬さんと向き合う中で最初はこの事実を認めることが私自身とても苦しかったです。自分の嫌なところに向き合わなくてはならない。過去の自分や当時の人間関係を否定することにもなる。
でも結局のところ何を守っているって、講座を受講してくださった方のためじゃなく自分のどうでもよいプライドを守っているだけだったんですよね。
そんな私のままだったら、正当な議論もできない、身体のメカニズムの本質も理解できるようにならなかったと思っています。(もちろん今もまだまだ勉強中ですが^^;)
今回の記事が読んでくださった方に何か心にささりましたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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