解説:「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか?

「メンタリストDaiGoの炎上問題より Part.1〜Part.3」をアップしましたが、いつもこの手の問題を会話している悦子にも「理解が難しい」と言われました。

 

  1. 「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか? **
  2.  社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ①  **
  3.  社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ②  **

 

私も読み返してみて、扱うテーマと情報量が多すぎて、これは難しすぎただろうと認識しました。

 

だけども大事なことを書いたつもりで、このまま終わらせるのは勿体無く、目次ごとにダイジェスト+追加、補足解説をします。

 

メンタリストDaiGoの炎上問題より Part.1
「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか?

 

今回はPart.1のダイジェスト+解説です。目次は以下。

 

—目次—

①キャンセルカルチャーはヘイト運動

②「発言そのもの」への責任追求は無意味

③言葉と被害の因果関係が全く示されない

④世の中は因果関係を単純に考えすぎ

⑤人が深く傷つくのは「自分だけに」向けられた言葉では?

⑥人が深く傷つくのは「無自覚」に放たれた言葉では?

⑦受信側によって言葉の善悪が変わる

⑧自分の被害者体験と重ねて糾弾はダメ

⑨因果関係は何事も単純ではない

⑩まとめ

 

先にこの記事を読んで、元記事を読むと理解しやすいかもしれません。

 

①キャンセルカルチャーはヘイト運動

キャンセルカルチャーの意味を最初に説明しています。これを正しく認識しないと、話の意味が分からないからです。

 

「有名人などの差別発言や過去の問題行動を洗い出し、ネット上で激しく批判し、存在を『キャンセル(抹消)』しようとする活動」がキャンセルカルチャーです。

 

この意味では、小山田圭吾とメンタリストDaiGoは同じくキャンセルカルチャーの被害者とカテゴライズできます。

 

しかし、中身は全く違います。これを説明するのが、この連載の主たる目的の一つです。

(違いは「社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ」で解説しています)

 

②「発言そのもの」への責任追求は無意味

言葉だけを切り取って責任追求することは無意味です。理由は、言葉はいわば「カテゴリー」を示すようなもので、同じ言葉でカテゴライズされたものも、中身は全く違います。

 

「いじめ」にカテゴライズされる中身は、多種多様です。子供時代のいじめは、許容できる範囲のものもあります。これを許容せずにいじめを断罪するならば、日本全国どこもかしこも犯罪者だらけ、犯罪を見て見ぬ振りをした共犯者だらけです。

 

③言葉と被害の因果関係が全く示されない

著名人が発した発言によって、誰かが被害を負ったという因果関係は成立しません。

 

ホームレスはDaiGoに興味がないでしょう。

小山田さんのインタビューでいじめが助長された証拠もありません。

 

世間は、因果関係が全く示されない「言葉そのもの」を激しく批判しています。

いじめが絶えない、ホームレスに陥ってしまう原因は、別のところにあります。

(普通に考えれば分かる当たり前の話だと思うのですが…)

 

④世の中は因果関係を単純に考えすぎ

ある「NGワード」が、NGワードに関連する現象の原因であるとは限りません。

 

それを「完全自殺マニュアル」等で示しました。

 

完全自殺マニュアルの著者、鶴見済氏の記事も合わせて読んでみてください。私より易しい言葉で書かれているので理解しやすいと思います。

 

⑤人が深く傷つくのは「自分だけに」向けられた言葉では?

いじめ紀行を激しく批判している九龍ジョーという編集者が、いじめ紀行を批判をするためトークイベントの宣伝をしたら、彼の知り合いのフェミニストの編集者から「私は15年前のあなたの言葉に傷ついた」と突っ込まれた皮肉を例にあげています。

 

直接自分に向けられた言葉は、15年以上も前の、その後一度も会っていない人間に恨みを持つほど刺さるという話です。(しかも九龍氏はそれを覚えていない)

 

不特定多数に向けた言葉で、深く傷つくことは無いでしょう。自分に直接向けられない限り、せいぜい、その時に感情が沸き立つくらいのものです。「その時感情が沸きたったこと」と、「深く傷ついたこと」を決して混同してはいけません。

 

現代には、トラウマになってもいないのに、トラウマになったとネット上でぼやく人間が多すぎます。自分が辛い原因を、社会や他人に押し付けたい感情の結果でしょう。

 

それでも「トラウマものだ」と主張して憚らない人間は、ヒステリーと自己憐憫を起こしているだけです。このヒステリと自己憐憫を起こす自己愛過剰な人間こそが、キャンセルカルチャーを助長しています。

 

⑥人が深く傷つくのは「無自覚」に放たれた言葉では?

九龍ジョー氏がフェミニスト編集者に対して放った言葉を全く覚えていなかったように、無自覚な言葉が意外に人を深く傷つけている可能性があります。その意味では、メンタリストDaiGoは無自覚に「ホームレスの命はどうでもいい」と軽く発言したために、世間に衝撃を与えたかもしれません。

 

私がここで伝えたかったのは、相対的に、悪意のない意図をもち、不特定多数に向けられた表現によって、人が深く傷つくことなどあり得るのか?という話です。

 

いじめ紀行は、(コンパスの針で刺されるような)深刻にいじめられる側だった村上清氏のまじめな企画でした。そのまじめな企画に、イメージダウン必須にも関わらず、小山田さんは過去のことを詳細に話しました。登場人物のキャラクターまでよく覚えています。

 

それは本当にいじめだったのか、また、その奥底にはまじめな意図があった表現に対して、一体誰が深く傷つくのか? どうしていじめが助長されると言えるのか? という問題提起をしています。これまでの小山田圭吾関連の記事を読み返して頂けば、意味が分かるはずです。

(しかし、そこまで関心を持ってくださる方はごく少数だと思っています)

 

いじめ紀行を厳しく批判する九龍ジョー氏こそが、これまでに人を傷つけ続けてきているかもしれない可能性も見えると思います。いじめや傷つくことについての因果関係は、世間が考えるほど単純ではありません。

 

⑦受信側によって言葉の善悪が変わる

フェミニストの方々にはどう表現してもNGな言葉があるように、受信側によって言葉の善悪が変わります。

 

多くのフェミニストは、男性、男性の文化、男性社会に対して偏見を持っています。

 

あらゆる「◯◯主義者」と名乗る人々は、必ず偏った思考からの偏見を持っています。菜食主義者、リベラリストも同様です。

 

彼らには、何をどうしてもNGな言葉があります。しかし偏見を持たない人々にとっては、どうってことない言葉であったりします。

 

世界のあらゆる◯◯主義者や自称HSP達のそれぞれが「不快な思いをしなくてもよい社会」を作ろうとすると、過剰なポリコレを経て、冒頭で説明したキャンセルカルチャーが出来上がります。以下、もう一度引用。

 

“世界で進行するリベラル化の根底には、「すべてのひとが自分らしく生きられる」社会をつくるべきだという価値観があります。当然のことながら、「わたしが自由に生きる」なら「あなたも自由に生きられる」権利を保証しなければならない。この相互性・普遍性がリベラリズムの基礎で、現代社会では、人種や民族、性別、国籍、身分、性的指向といった自分では変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されなくなりました。これが「政治的な正しさpolitical correctness」で、PCとかポリコレと呼ばれます。”

 

もうひとこと橘氏の言葉に説明を加えるなら、自由に生きる権利など奪われていないのに、奪われたとヒステリーを起こす人々がポリコレ、キャンセルカルチャーの主役です。

 

残念ながら小山田圭吾ファンの方々も、「私の大切なものが奪われた」と、ロッキングオンやクイックジャパンの編集者を責め立てる運動をしています。キャンセルカルチャーの意味を全く理解していません。

 

「◯◯主義者」や「◯◯推し」「◯◯ファン」は、差別的な思考を持っていることが本当に多いです。自分の大切なものと、そうでないものに優劣の差をつけ、物事を公平に見ることができないという意味です。

 

人それぞれにNGワードが設定されています。受信側によって言葉の善悪は変わります。

 

繰り返しますが、それぞれのNGワード設定(またはNG描写設定)に社会が合わせると、誰もが息苦しい社会が形成され、表現規制が進んでいきます。表現規制が過剰になると、人々は馴染みのないものに対して深く考える機会を失います。

それぞれ、OKとNGの設定は様々です。小山田さんの問題では、いじめの描写が中身がどんなものであれ、編集者の意図がなんであれダメ(後述の自閉症協会もこの意見)だという人が大騒ぎしています。

 

だから、言葉や描写だけを過剰に問題視するとキリがありません。それよりも被害の因果関係をきちんと考えるべき。

タモリの言葉は、また違う角度からの理解につながるはずです。戦争は、舞台をリアルからインターネットに移し、リベラリズムと被害者中心主義のもと、言葉を断罪し、言葉狩りをするようになりました。

(これもちょっと話を膨らませすぎたかもしれません。しかし物事を多方面に繋げて考えなければ本質的な理解には至りません。)

 

⑧自分の被害者体験と重ねて糾弾はダメ

ここで伝えていることは大きく2つあります。

 

ひとつは、自閉症協会が出した声明文が正しいものではないということ。

 

“当該の特集記事は、時計の針を当時に戻しても出版されてはならなかったものであると考えます。”

“多くのいじめや差別の被害者がこれらの記事を目にすれば、過去を思いだし、体調を悪くします。”

 

既に説明した通り不特定多数に向けた言葉が人を深く傷つける可能性は非常に薄いです。自分の被害者体験を蒸し返す「不特定多数に向けた表現」を批評することは正しくありません。

 

またクイックジャパンはアンダーグラウンドなサブカル誌であり、テレビや新聞のように大多数の目に入るようなものではありません。インターネットがなかった時代、リテラシーのある人々に対してのみ届けられ、大衆は見ることがなかった雑誌です。

 

この声明は、つまりは被害者中心主義とポリコレによって過去を断罪しています。これを正当化するなら、「いつでものび太をボコボコにぶん殴るジャイアン」の描写に規制を求めるべきです。

 

“この過去の特集記事を根拠に現在の小山田氏個人を叩くことを煽るネット上のブログや書きこみは、人と人との対立を助長するものであり、それはいじめや差別と同類と考えます。そういう事態に反応しやすい自閉スペクトラム症当事者を不安にさせます。”

 

小山田さんを叩くこともまたいじめだと発表したので、小山田圭吾ファンには都合が良かったのでしょう。彼らは自閉症協会の声明を大拡散しました。小山田さんは不本意にインタビューを発行されてしまったと設定して、編集者が悪かったことに出来ますから。

 

◯◯推し、◯◯ファンは、「自分が傷つけられた」という感情から、それを「誰かのせいにしたい」という衝動で動いていることを、この現象から理解する必要があります。

 

別に小山田ファンだけに物を言っているのではなく、誰しもが、同じようなことを無自覚にしています。これが過剰なポリコレに繋がっています。

 

自閉症協会の声明は、決して世の中をよくするようなものではなく、自閉症の当事者の視点に立っているかすら怪しいものだと、私はハッキリと意見を表明します。

 

なぜなら、いじめ紀行からは「小山田圭吾は自閉症の当事者に好意的な関心を持つ人物であること」が、理解力さえあれば読み取れるのですから。

 

ファンが孤立無援のブログに長年翻弄され続けていたことは、当然だったわけです。多くの自称・小山田ファンは、小山田圭吾の人格に疑いを持ち、信じていませんでした。

 

自閉症協会の声明を「素晴らしい!」と大拡散する彼らは、今もなお、小山田圭吾を全く理解していないでしょう。

 

このパートでもうひとつ伝えていることは、「私はいじめ被害者なので、いじめ表現に自分の被害感情をスライドさせてしまう」とツイッターでリプライを送ってきた「(美の象徴である)オードリーヘップバーンのアイコン」とのやりとりです。なぜオードリーを指摘しているかというと、対話から受け取った印象と合わせて、それが自己愛過剰や自意識過剰を表していると思うから。

 

彼女もまた、フリッパーズギターを聴いていたと私に伝えていましたが、小山田圭吾を全く理解できなかったのでしょう。自己愛過剰者に、自虐の意味も込めて「コーネリアス」と自分に名付けた小山田圭吾は理解できないでしょう。

 

 

自己愛過剰に、タモリの言葉「何かを愛する、守るという感情がなければ、争いは起きず、自然『平和』の状態になる。」を重ね合わせて考えてみてください。

 

自己愛過剰者は、自分を過剰に守りたいがために、争いを起こすということです。

 

⑨因果関係は何事も単純ではない

「肺を悪くすると認識されているタバコが、コロナ死亡リスクを上げることはない」などの例から、いじめや差別以外の、何事も因果関係は単純ではないという実例をあげています。

 

追加解説をすると、因果関係は単純ではない上に、その時代のなかで悪とされるものが、(因果関係なく)理不尽に叩かれるのが社会だということです。

 

喫煙者を叩くことは今や正義なので、大規模なコホートから喫煙の罪はないと分かっても、喫煙者は容易に叩かれます。ほとんど差別的な扱いです。

 

しかし、コロナ重症化や死亡率と肥満の関係は火を見るよりも明らかであるにも関わらず、「デブは痩せろ!」と大きな声で言うことはできません。即刻「差別主義者」として吊し上げられます。

もし本当に新型コロナパンデミックを抑えたいなら、重傷者と死亡者を減らしたいなら、喫煙を責めるより、「デブは痩せろ!」と声高に叫ぶ方が圧倒的に正しい行為でしょう。しかし現代では喫煙者は副流煙で他者の健康を奪う加害者、デブは嘲笑から守られるべき被害者と設定されています。

 

この被害/加害関係は、視点を変えればいくらでも立場が入れ替わります。

 

そして「喫煙」や「デブ」にも程度がありますし、喫煙しても迷惑にならないシチュエーションや、デブと言っても許される関係性も存在します。

 

「言葉だけ」で善悪を決定することに、「言葉だけ」を論議することに、なんの意味もなければ、正当化できる根拠もありません。

 

⑩まとめ

いじめ紀行を批判し、正義感をもとに海外へ発信したモーリー・ロバートソンは、いじめ紀行といじめ助長の因果関係を示していないことを確認しつつ、以下のまとめを提示した、次の記事へのイントロダクションです。

 

1. ものごとの因果関係を突き止めるのは想像以上に難しいです。

2. 不特定多数へ向けた言葉から深刻な心の傷を負うとは考え難いです。

3. 言葉は受信側によって善悪が変わってしまいます。

4. となると、言葉だけで善悪を裁くって、本当に正しいことなの?

 

そして、「社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ」に繋がっていきます。

 

言葉という表面だけで物事を判断せず、仕事という大人の本質を見ていくべきだという主張です。

 

 社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ①  **

 社会人は謝罪で許すな、仕事で許せ②  **

 

この2本は、「仕事を評価するとは?」を詳しく説明しました。最終的には、仕事をきちんと評価していくと、状況を正しく認識していくと、やはりメンタリストDaiGoは反省せざるを得ないことがわかります。一方で小山田圭吾は、やはり「そこまで悪いことをしたのか?」という結論に至ります。

 

ひとつだけここに念押しで再確認したいことは、言葉を評価するのは、差別まがいの大人の感想文発表会になっている状態で、こんなに寒いことは無いということ。

 

そして、仕事を評価するのは大変な労力を要するということです。

 

大変な労力を要するので、安易に人をジャッジできなくなります。それは、差別偏見を無くす、不毛な論争を無くす唯一の方法だと考えています。

 

おまけ(音楽と言語)

こういうのは、一番ダメです。確かにDaiGoはヤバイやつだったのですが、これはダメ。分かりますよね?

 

「お前まず痩せてから感染症を偉そうに語れよ💢」と言いたくなる忽那賢志が、デビューの頃から七尾旅人好きだったとは!

 

私もその頃(自分は高校時代)から七尾さん好きです。

 

音楽に乗せていない七尾さんの言葉にはあんまり同意できないので、ツイッターはほとんど見ていませんが。

 

音楽って、考え方が違っても、ひとつにまとめられてしまったり、メッセージが届いてしまったりするんだよなぁと思います。

 

言語のみでの表現は、厳しくなればなるほどに、難しい!

厳しい言葉も、音楽に乗せれば(もちろんcoolだったらの前提)受け入れられちゃったり。

 

しかし、音楽はやっぱり漠然としたものしか表現できないので、詳細な理解に至るには言語の積み重ねが必要。

 

しかし、言語は異なるもの同士の壁を、なかなか越えられない。

 

占星術的には、水星(言語)と海王星(芸術、イメージ)の差で、この2つはオポジション(対抗)です。

 

ここを統合してこそなんだけどなぁと思うものの、さてどうしたものか。

 

という雑感おまけで終わります。

 

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藤原 悠馬生化学(生物学) / 西洋占星術
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