好意的な関心を持って初めて理解できることがある(小山田圭吾さん91年のインタビューより)

「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。」

(Quick Japan95年3号 「いじめ紀行」より)

 


 

—目次—

月刊カドカワ1991年9月号(vol.9)文字起こし

小山田圭吾はなぜ露悪的に振る舞ったのか?

小山田さんが自発的にK(沢田)を語る意味とは?

好意的な関心を持たずに正しい評価など出来ない

 


 

前回のブログの続きとなります。

 

小山田圭吾さんが『月刊カドカワ』でもいじめ自慢?

軽く追記としようと思いましたが、入手したカドカワのインタビュー原文がとても味わい深いものだったので、文字起こしをしました。

 

文字起こしを完了した時点で、はてラボに文字起こしを掲載しているものを見つけたのですが、私は自分でやりましたと報告はしておきます。いや、もしコピペさしてもらったらそう書くし、書いておかないと人の労働力を勝手に利用したと思われちゃいますからね(笑)

 

91年月刊カドカワでの小山田圭吾さんが生い立ちを語るインタビューに、思いのほかたくさんのヒントがあったので…….文字起こしとちょっとしたコメントに留めるつもりが、かなりのボリュームになってしまいました。

 

小山田ファンにもアンチにも歓迎されない記事かもしれませんが、自分としては、表現力の不足を痛感しながらも、有意義なことをまとめられたと自負しています。

 

小山田圭吾が有罪か無罪かという話ではなく、人間として生きていくために大事なことを、この問題からたくさん学ぶことができると考えています。小山田さんに興味がない方にもぜひ読んで欲しいです。これだけに限りませんが、使った時間は損させないぞという意気込みで、全てのブログ記事を綴っています。

 

以下の画像は全て@CMSJ44さんのツイッターより転載させて頂きました。月刊カドカワ1991年9月号(vol.9)の348〜351ページです。

 

月刊カドカワ1991年9月号(vol.9)文字起こし

以下、文字起こしです。原文に見出し的な言葉と区切りを加えたり、出てくるテレビや音楽のYouTubeを貼り付けています。これらは単なる紹介ではなく、小山田圭吾の人物像や意図を理解するための重要な手がかりです。

 

音楽家のことを言語だけで理解するのは不可能ですから、少しでも再生してみてください。

 

—幼稚園時代の話

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼椎園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵描きを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。普通の子だった、おとなしくもないけど。

すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪ロを陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌をうたうその他大勢の役をやった。

 

—J-CASTニュースに切り取られた迫害、復讐の部分を含む小学生時代の話—

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど。もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにK(いじめ紀行の沢田くん)という知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。強力なインパクトのあるヤツだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして……ジャーン!!(笑)

小学校のときって、足の速い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田君の嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復警した(笑)。

 

—ここからクイックジャパンに登場するK(QJでは沢田)を含むストーリー

運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったっていうわけじゃなくて。

音楽は幼稚園から。アニメとかの主題歌のコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。

ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。 アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。20位から11位まで久米さんが早ロで言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言っ てメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

 

—小山田圭吾が子供の頃好きだったもの—

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。

 

鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。

 

 

それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ 〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。

 

 

コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。 『天才・バカボン』 の第二巻もすごかった。

 

 

—人当たりが悪くなった中学生時代とKと音楽の話—

中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジけるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラスを出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。

Kはね、体がデカくて、小学校の時は突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンIIを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、ニ台目はアカイのやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二の時のクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロの『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・ロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、”イアン・マッカロクのお部屋”とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーっと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっち方面の音楽にどっぷりいった。

 

Beyond Belief(インペリアル・ベッドルームより)/ エルヴィス・コステロ

Oblivious(邦題:思い出のサニービート)/アズテック・カメラ

 

そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていった。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、 クイーンとかディープ・パープルを教わっ た。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コードが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命練習した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

 

—K(沢田)との高校時代の話—

高校になると、すごく仲良かったヤツが 違うクラスになっちゃって、クラスに友達がいなくなっちゃった。そうしたら、Kが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」って聞くとペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ってたら、「うん」。

それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は……」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いてたという話を聞いた。

僕は浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。

変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイブ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッド…

(文字起こし終わり)

 

さて、如何だったでしょうか?

 

 

竹熊健太郎氏は小山田圭吾の次に、クイックジャパンのいじめ紀行で取材を受けた方でした(いじめられっ子として)。

 

週刊女性PRIME(竹熊健太郎氏のインタヴュー)
小山田圭吾が受けた「40年後の罰」、いじめられた側が語る当時の背景
2021/7/26

 

当時を知る人的なポジションで、週刊誌から取材を受けたりしていますが……これを「いじめ体験を語る」と表現するのは、如何なものかと私は思います。

 

では、まずは月刊カドカワの記事の問題点を具体的に指摘します。

 

 

小山田圭吾が知的障害者を虐めているという話に無理やりこじつけるように、知恵遅れの子のエピソードを持ち出しています。前回指摘した通り、これ小山田さんが虐めていたという記述が一切ないですが。

 

素直に読めば、これは小山田さんが幼稚園時代の思い出としてわざわざインタビューで話すほど、彼にとって「知恵遅れの子」が印象に残っている、知恵遅れの子に強い関心があることを物語っています。

 

それが良いことか、悪いことかなど、ここでは判断できませんので続けます。

 

 

これは問題の記述ですが、出だしの「いちばんショックだったのが、」をカットして「小学五年生くらいの時に〜」と記述しています。

 

記事のタイトルは「小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 『小学校人生全部をかけて復讐した(笑)』」です。ショックを受けるような心情の表現があっては、いじめ自慢になりませんからね。印象操作のテクニックでしょう。

小山田圭吾はなぜ露悪的に振る舞ったのか?

私が元記事を読んで小山田さんから受ける印象は、「正直で、率直で、自分をよく見せようとしない人」です。カドカワのインタビューだけでなく、この頃(91年〜95年)どの雑誌でもそう感じます。よく見せようとしないを通り越して、あえて露悪的にふるまっている印象すらあります。

 

露悪的に振る舞うという意味においては、正直ではないと言えるかもしれません。

 

“すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪ロを陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。”

“小学校のときって、足の速い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)”

“ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)”

 

私個人の感想としては、このような文章に対して何らの嫌悪感も持ちませんし、むしろきっといい奴なんだなと思います。自分で「自分は陰で悪口を言っていた」とか、「こすいヤツだった」とか、「嫌がらせをした相手が指摘した自分の悪さが全部事実だった」とか、正直に公言してしまう人は、だいたい悪い人じゃないですよ。

 

と言ったところで「それはお前の思い込みだろ!」と正義の味方から厳しいツッコミが入りそうですから、それは一旦置いておいて。

 

どうして露悪的に振る舞ったのかを考えてみます。一般的に考えると、割と珍しい(自虐的でイメージダウンな?)発言を連発しているように見えますよね?

 

 

原本を持っていないので分からないのですが、このツイートの画像は、月刊カドカワの同じ号に掲載されている対談のようです。

 

ここでの小山田さんの「(笑)力入れてんのオリーブだよね。」っていうのは、小山田さんはオリーブ(女性向けファッション誌)に本気で力を入れたいとは考えておらず、むしろオリーブ少女からの期待を裏切っていきたいという気持ちの表れだと考えられます。

 

世間から押し付けられたイメージから逃れたくてとか、もう自分が求めているのはそこじゃないとか。その意味での、失笑気味な「(笑)」かなと。

 

カドカワと同時期のオリーブの表紙を飾る小山田圭吾(1991)

 

これは94年の小山田さんの発言です。(ロッキングオンジャパン94年2月号/画像はCMSJさんより)

 

「僕が唯一獲得しているオリーブ少女的な夢見る少女は」という表現は、「ウンコとバックドロップ」の合わせ技を使った明らかな皮肉ですね。つまりロッキングオンジャパン上の数々のいじめ発言は意図的だった(かなり盛っていた)可能性が考えられます(詳しい考察は後の記事で)。

 

 

元々ライブには男客が多かったのに、「カメラ・トーク」というアルバムで一気に女子ファンが増えたみたいですね。私は全然その頃の歴史を知らないんですけど、まあこの曲とPVだけでも想像はつきます。

 

 

夢見るオリーブ少女、熱狂間違いなしでしょう(笑)

 

そして小山田さんは、夢見るオリーブ少女から王子様扱いされるイメージには縛られたくなかったし、反発したかったと思います。

 

もともと実名で他のミュージシャンをこき下ろすような毒舌はオザケンと共にあったようですし、80年代〜90年代の悪趣味・鬼畜ブームのような露悪的な態度が歓迎される時代的背景もあったとは思いますが……あからさまに自分のイメージを下げるような発言においては、王子様イメージから脱却したい気持ちがかなり強かったのではないかと。

 

脱王子様的な気持ちが原因ということでは無いでしょうが、生まれ育ちがリアル王子様である小沢健二とのフリッパーズ・ギターは、このカドカワのインタビューが掲載された91年に解散しました。

 

また今回のカドカワの小山田さんインタビューから読み取れるのは、彼が幼少期に惹きつけられていた世界観は、夢見るオリーブ少女が憧れる世界観とは、(パブリック・イメージへの反発とは関係なく)そもそもの話としてあまり一致していない部分も大きいという印象です。

 

“ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。”

 

これはカリキュラマシーンへの愛が感じられる印象的な一文です。

 

“「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ 〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。”

 

 

動画を見てもらえると分かりますが確かに「ギャグともとれないようなギャグ」で、幼少期には笑えないかもしれません。

 

余談ですが、この「3はキライ!」は、オリーブ女子からもきっと愛されていたであろうユニコーンの奥田民生もカバーしています。

 

オリーブでのユニコーン紹介(1990)。画像はこちらから引用。

 

若かりし奥田民生(中央)。これはオリーブ少女ハマるでしょ… 笑

 

小山田圭吾と同じように、奥田民生もユニコーン解散後に大きくイメチェンし、アイドル的な立場からの脱却を測りました。そんな二人がシュールな「3はキライ!」とカリキュラマシーンをリスペクトし、影響を受けているのは非常に興味深いところです。

 

 

今回いくつか動画を貼ったカリキュラマシーンは私は初見でしたが、自分が生まれる前にこんなにも表現に深みのある子供向け番組をやっていたのか!と非常に印象深いものでした。

 

 

最も衝撃だったのがコレ。次から次へと「マジか!?」と思わず声が出てしまうほど凄いアイデアが7分間にこれでもかと詰め込まれています。必見です。全く古くないどころか新しくさえ感じます。

 

カリキュラマシーン関連の動画と、コーネリアスのPVや「デザインあ」を見比べてみると、フリッパーズ解散後の小山田さんの世界観には、カリキュラマシーンの影響が強く感じられると思います。91年のカドカワのインタビュー内で最も面白く感じられたのは、この小山田さんのルーツ(幼少期に体験したテレビ番組から強く影響を受けたこと)を知れたことでした。

 

コーネリアスLive@デザインあ(Count five or six)

 

それは後に「デザインあ」という子供向け番組の音楽を担当することになった、大きな理由だったかもしれません。

 

また、王子様扱いだったフリッパーズ・ギター時代のイメージを払拭しようと試みたことが、93年からのロッキングオンジャパンのいじめ発言にも繋がっていった可能性において、この91年の月刊カドカワインタビューには布石のようなものを感じ取れます。

小山田さんが自発的にK(沢田)を語る意味とは?

さて、この91年の月刊カドカワのインタビューでは、後に95年のクイックジャパン(以下QJ)で大いに語られるK(以下、QJに合わせて沢田と表記します)の話が出てきています。

 

QJは「いじめ紀行」というタイトルなので、いじめについて語る一環として、いじめられっ子であった沢田の話になりました。しかしここでは、幼少期から学生時代のインタビューで、編集者に引き出されたのではなく、自発的に沢田のことが小山田さんから語られています。

 

冒頭のカドカワ文字起こしをされた方のページ(はてラボ)には、こう書いてありました。

 

“読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。”

 

外山恒一とは、小山田圭吾に関する非常に長い意見をnoteで発表した方です。北尾修一さんの百万年書房から出版されている関係か、注目されています。

 

 

ご本人は自身を「名探偵」と称し(ギャグかもしれませんが)、持論を饒舌多弁に語っていますが、私はミスリードもかなり多いと評価しています。はてラボに文字起こしを掲載した方がファンなのかどうかは分かりませんが、わざわざ大変な文字起こしをするような方が外山恒一氏に容易に腹落ちすることに、この問題の難解さを感じています。

 

以下に、外山恒一氏のnoteから一部抜粋します。

 

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。

小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。

高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。”

 

さて小山田氏は『決してイジメているつもりはなかった』という線を頑なに守ろうとしていますがというのは完全なミスリードでしょう。そもそも自分からインタビューで語らなければ、知られることは無かったのですから。

 

ではなぜ詳細にイジメを記憶していたのでしょうか?

 

ここでインタビューをよく読み返して考えてみて頂きたいのですが、小山田さんの記憶力は、いじめ以外のことでもかなり鮮明です。幼稚園時代のことなど、よく覚えているなと思います。

 

「年長はすみれ3組だった」とか「学芸会でインディアンの歌をうたうその他大勢の役をやった」とか。私なんかは全く組の名前や、発表会の脇役の役柄はおろか劇のタイトルすら覚えていません。前半にも書きましたが、知恵遅れの子に強い関心があることにも注視してください。「シンちゃん」と名前まで覚えています。

 

チャートを全部メモるの、点数まで。ニ十位から十一位まで久米さんが早ロで言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。”

 

全体を読んで小山田さんの幼少期〜学生時代の記憶の鮮明さをある程度感じられるとは思うのですが、「詳細なことを記憶しようとしている」という意識も、この文章から感じられます。チャートの詳細まで把握することでクラスで威張れるという風潮が当時はあったようですが、91年当時、大人になってもまだオリコンの細かいチャートまで読んでいるというところに、沢田の特技に惹かれてしまった理由があるようにも見えます。

 

“高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃって、クラスに友達がいなくなっちゃった。そうしたら、Kが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?ってきくとペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。”

 

このエピソードは、自分が必死こいてメモしてようやく成し遂げられることを、なぜか軽々と出来てしまう沢田の才能に対して、単純に「凄い!」と感じていたことを示しているはずです。

 

中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジけるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラスを出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。

 

中学以降は、クラスメイトとあまり共感できなくなって、高校に至っても校内、特にクラス内には友達が少なかったと書かれています。それは小山田さんの感覚の鋭敏さ故と私は思います。中学時点で、エルビス・コステロやアズテック・カメラを話題にし、共感できることは、どんな学校に居ても稀だったでしょう。

 

“そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていった。”

 

群れて退屈な話題に興じるクラスメイトとは(本当は寂しいけど)距離を置きたくなる気持ちは、私も分かります。この表現は、小山田さんを罰したい人々は人格の悪さの証拠として扱うでしょうが、ただ小山田さんが正直で清濁合わせ飲める性格であったり、時代的な影響があったり、あえてイメージダウンを測りたかったり、さまざまな事情が合わさっての「みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていった。」という自分の過去に対する表現になったのだと思います。

 

“難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は……」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。

 

大好きなカリキュラマシーンについて「よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。」と発言していることに注目してください。これは「ギャグなのか本気なのかわからない沢田」に対して、好感を持っているということを示しているでしょう。だから聞かれてもいないのに、あえて沢田のことを話しています。

 

実際に、高校時代のクラスメイトで、最も印象に残った男の1人だったのは間違いないでしょう。圧倒的な記憶力に対してリスペクトもしているし、ギャグと本気の境界線に魅力を感じているはずです。

 

この言葉で伝わるかなぁ?(笑)

 

 

カリキュラマシーンは小山田さんを理解する大きなヒントだと考えて、ここに貼った一連の動画を見てください。ギャグと本気の境界線に対しての興味や愛着が、最初のブログに書いた「お前、すっげえバカw」はリスペクトなのだという感覚に繋がる……と思うんですけどね?

 

まあ……これはいくら説明しても、わかる人はわかる、わからない人はわからないという傾向に陥りがちな話ですから、説明が非常に難しいです。QJの村田くんに対する「わりと境界線上にいる男で」という発言も、魅力を感じているとまではいかずとも、悪意は無いはずです。

 

ただ「境界線上の人達」に対して興味関心を持っていることの表れだと思うのですが、このような言葉遣いに慣れない人達には誤解を招くのだと思います。

 

ともあれ結論としては、外山恒一氏の「小山田圭吾はいじめに対する罪悪感のようなものから幾度となく反芻していたからこそ、いじめた側にも関わらず、詳細に事を記憶している」という推理は間違いであろうと私は批評します。

 

単純に、沢田に対して好意的な興味があったのでしょう。幼稚園時代の知恵遅れの子のシンちゃんを語っているエピソードもおそらく同様であり、知的障害者が持つ特殊な感覚や特徴に対して、決して差別的ではない感覚で興味関心を示しているように私には感じられます。

好意的な関心を持たずに正しい評価など出来ない

95年のいじめ紀行「小山田ー沢田間が友達だった(仲が良かった)説」には異論を唱える人が多いのですが、小山田圭吾さんの主観として沢田くんに対して友情意識があったということは、91年の月刊カドカワでこれだけ自発的に語っているのですから、間違いないでしょう。これは外山恒一氏もそう読んでいるはずです。

 

しかし「なぜ小山田圭吾は沢田に対して積極的に関わっていたのか」という心理的な考察に関して、かなりいい加減なように思います。

 

いい加減な推理になってしまっている原因には「外山氏は(その他大多数の人々も)小山田さんに対して好意的な興味関心がない」ことがあるはずです。

 

ポジティブな意味での興味関心がないものに対して、正しい評価は出来ません。これは今回の小山田圭吾騒動の根本原因のひとつです。少しでも嫌悪感を持っていると、受け取る印象は歪んでしまいます。

 

これは当たり前の話です。スポーツが嫌いな人が、スポーツの正当な評価など出来ないし、音楽が嫌いな人が、音楽の正当な評価などできません。

 

当然ながら、小山田さんや障害者にポジティブな意味での興味関心がない人達は、小山田さんと障害者に対して正当な評価などできません。「裁判は個人に興味がなくても人を裁くだろ」と反論が聞こえてきそうですが、それは馬鹿げた話です。大前提として小山田さんは犯罪者ではないし、裁判だっていつも正しい判決を出しているとは限らないのだから。

 

どうしても小山田さんを裁きたい、ジャッジしたいという方々は、小山田さんと障害者さん達の双方に、いじめっ子といじめられっ子の双方に、ポジティブな意味での興味関心を必ず持つ必要があります。

 

床山すずり
障害者きょうだいから見る小山田圭吾
2021/07/24 14:01

続・障害者きょうだいから見る小山田圭吾
2021/07/31 15:34

 

障害者を兄にもつ方からの意見がまとめられたnoteです。これは障害者と小山田圭吾さんの双方に興味関心があるからこそ書ける文章だと思います。全文を読んで頂きたいのですが、一部のみ抜粋。

 

単純に、距離を置かれてしまうと、家族としては悲しい。障害者の家族は、本人のことを理解してほしい気持ちが強いのだ。”

“「コイツはおかしい」から、「なんでコイツはこうなんだ?」へ。小山田は、沢田くんの「できない部分」も含めて否定も無視もせず、このような疑問を持つようになっている。その言い換えが「オマエ、バカの世界ってどんな感じなの?」である。表面的に見ると言葉は汚いが、自分とは明らかに異なる相手の内面世界に関心を持っていなければ、出てこない疑問だと思う。

 

「『コイツはおかしい』から、『なんでコイツはこうなんだ?』へ」なんて、多くの方々はスルーしてしまう文章でしょう。しかし、好意的な興味関心があれば、その意識の変化をとても大事なものだと捉えることができます。

 

ここに一言私の見解を加えるならば、小山田さんにとって沢田くんは明らかに異なる人間でありながら、どこか似た部分も感じているからこそ仲良くなれたのだと私は考えています。その共通点をひとつ具体的に示すならば、ここで書いたヒットチャートや名簿への記憶に対する情熱や集中力です。

 

抽象的に示すならば、二人とも「隅っこの人」であったという事実です。表面的には小山田さんはそれなりにクラスメイトと付き合いをしていたと思いますが、心の中では「隅っこのマイノリティ同士」で繋がっていたのではないでしょうか。

 

かくいう私も「隅っこのマイノリティ」ですから、小山田さんにも、沢田くんにも、「いじめ紀行」なんて実験的な企画を世に出してしまったQJの村上さんにも、非常に強い興味関心を持っています。それぞれ違う人ですが、どこか自分と似た部分も感じられるので共感しています。

 

近年小山田さんが作詞を依頼している元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎氏も、隅っこ感半端ないですよ(笑)

 

(画像:sinra.net

 

小山田さんって、そういう人だと思うんですよね。露悪的に振る舞いながら夢見るオリーブ少女の期待を裏切りたかった動機なども、ここまで読むと腑に落ちてくるのではないかと。

 

最後に、まあ不思議だなぁとも納得とも思う話なのですが、、、

 

このnlldというアカウント、プロフに「北尾修一とその後の流れに傷ついた」と書いていて、私もかなり絡まれたのですが(私以外にも相当数の人々に絡んでいます)、私のブログを読み始めたが醜悪な内容で途中で読むのをやめたと言ってるんですね。

 

ところが、床山すずりさんには「いじめという形でも関心を示してもらえたら嬉しいという気持ちは絶対的に肯定します」と感想を述べているんですよね。

 

……私と床山すずりさんは、意味合い的にほとんど同じことを書いているはずなのですが(笑)

 

ネット上で他人を理解しようとなると、膨大な量の文章を読んで、さらに考えなくてはならないので、非常に疲れます。さらには人間にはそれぞれ「自分が好む表現方法」というものがあり、好まないものに対する嫌悪感が発動します。

 

nlldさんには、床山さんの表現は好めるが、私と北尾修一氏の表現は好きではなかったのだと思います。しかし前途の通り、嫌悪感は理解への到達を拒みます。

 

 

「文脈を読む」という作業は、ものすごくたくさんの時間と忍耐力と理解力を要求されます。それもまたエネルギーを消耗して疲れますし、表現の好みで人々は感情的に情報を評価しますし……さらにはコロナ禍で直接的なコミュニケーションが絶たれた今、「感情的なAI」が増える一方になることは、もう避けられないでしょう。

 

さてどうしたものかと思いますが、せめてこのブログを読んで頂いた方々にとって、言葉一つで人を判断することの過ちや、関心を持つことの大切さ、無関心は自分にとっても利益がないこと知るきっかけになれることを願っています。

 

この91年のインタビューひとつから、小山田さんのルーツを通して、またひとつ私の中では世界が広がりました。それはとても豊かな体験です。

 


 

いじめ紀行が掲載された当時のクイックジャパン編集長であった赤田祐一氏がようやく意見を出しました。

 

「いじめはエンターテイメント」ではない
文:赤田祐一(当時=太田出版『クイック・ジャパン』創刊編集長/ 現=『スペクテイター』編集者)

 

私は音楽家・小山田圭吾さんを、ジョージ先生が少年漫画で描き続けてきたような〝隅の人〟と関わり合うことを厭わないタイプの人──と認識する立場に立ちます。今回、発表後約26年ぶりに小山田さんの話(『クイック・ジャパン 3号』太田出版刊 1995年8月1日発行)を読み返し、改めて、小山田さんをそのように感じました。

 当時、実際に仕事で数回お会いした氏の屈託なきパーソナリティーから受けた印象もありますが、過去のいじめの話を聞くにつけても私は〝 いじめ常習者〟だったり、〝 血も涙も無い人〟 のような印象を、まるで受けませんでした。

 なぜ、私は、あの原稿を掲載したのか?

 それは、小山田さんが同級生(文中に仮名で登場するSさん、Mさん、Oさんなど)を〝見えない人間〟として無視するのでなく、人間として〝じゃれあう〟ことで学友、すなわち仲間として付き合っていた。そこに、仲間に対する彼なりの意識や心配りが感じられたからです。(たしかに一部〝じゃれあい〟では済まない粗暴なふるまいもあったわけで、そこは、けして賞賛される点ではありませんが)

 

一部の抜粋です。好意的な関心を持たない人々から残念ながら酷評されているようですが、私の記事とも合わせて、ぜひ全文を読んで感じて、考えてみてください。

 


 

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  5. 「言葉だけ」で人を判断するのはもうやめませんか? ★★

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※今日(8/10)は小山田圭吾の93年末〜95年を占星術から読み解くネタを書きました。

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