「傲慢」だった愛知時代の私と、歪んだ自己肯定感

 

私自身の問題の根底について、前回のブログ記事で綴りました。

16年に及んだ摂食障害の遍歴と、恋愛依存

 

改めて過去の自分を振り返ると、精神的に歪んでいますし、問題があったとしかいえません。それなのに、なぜ、私は愛知にいる頃、母ちゃんの代表風に発信することが出来ていたのか。

 

▶︎自分自身の問題を認識していなかった

▶︎問題を含む自分を無意識に肯定するため

この2点だと思います。

 

ここに「自己肯定感を高める」ということの問題点が含まれています。

 

 

1つ目の自分自身の問題を認識していなかった、ということについては、前回のブログで綴った通りです。

2つ目の、問題を含む自分を無意識に肯定するためについて綴っていきます。

 

こんな精神だった私ですが、第一子を出産後、子供の健康が阻害されたり、症状が出るのは母親の問題という意識だけは強くなり、食事や生活という物質面への意識は大きく変化しました。

 

 

今は物質面だけにフォーカスしても、症状や子育ての根本解決には至らないと認識していますが、当時は物質面を意識するだけで「私は母親としての責任を全うしている。」そう思い込んでいました。

 

なので病院に行ったことがない、ということを誇り高く思っていましたし、それだけで子育てがうまくいっているとさえ思っていたところがありました。

 

でも、自分自身の本質的な問題は蓋をしたままです。

 

どんな名前の蓋をしていたのか。

 

「母ちゃんはお産という命がけの仕事をした。」
「母ちゃん、もう、十分頑張っている。」
「勉強するのは子どもへの愛情ゆえ。」
「家事を毎日しているだけですごい。」
「そんな自分を認めてあげれないのは自己肯定感が低いから。」
「過去の自分を否定するのはやめよう。」
「ありのままの自分を愛してあげよう。」

 

こんなところだったと思います。

 

講座でも、こういった考えを前面に出していたと思います。

それは問題のある自分自身を暗に肯定するため。

 

そして、こういったことを主張することで、お母さんたちの味方のような感覚に陥っていました。

 

 

もちろん育児は大変だと今も毎日思っています。

 

それは自分自身の問題が浮き彫りになるから。

自分自身の問題を、子どもはストレートに表現する。

 

だからこそ、こんなにも葛藤し、悩み、自分自身の在り方を見つめ直し、パートナシップの在り方を見つめ直す機会となる。

むしろ、そこに真摯に向き合わない限り、問題の解決は起こり得ない。

でも、その過程がこれ以上のない価値のあるものとなる。

 

その努力を放棄した結果が過去の私です。「母ちゃん、もう十分頑張っているよ。」という言い訳の言葉で。

 

それを当時、自分の手を汚さず、こういったことを代わりに声を大にして言ってくれている人に身代わりにをお願いしていたと思います。その一人がこじまりえさんでした。

 

私がりえさんに傾倒していたのは、子どものためでも、未来のためでもなかった。自分自身の問題を問題と思わなくてよくさせてくれたから。私はこのままで大丈夫、むしろ子育て中の母の代表として、未来の子どもたちのために頑張っている、そう思わせてくれた。

 

そういった名声や、そして収益のためでした。

私の母親として、人としての中身は全く伴っていませんでした。勘違いも甚だしかったです。

ただの自己愛過剰な状態。

そのために、子育てすらも利用していただけ。

 

母親として底辺でした。

 

 

「あなたはそのままで大丈夫」という言葉で本当に救われるのか。

私自身、そのままでは大丈夫ではなかったのが事実です。というよりも、そのままで大丈夫な人なんて、そもそもいないのです。

 

「ホロスコープのネイタルチャートが示すのは、生まれ持った備わった性質というよりも、死ぬまでに達成すべき課題という方が適切です」。つまり、どの人も努力なしに自分の人生を生きることは出来ないわけです。(土星の解釈を間違えないでより)

 

子育て母ちゃん向けの講座を開催しているのならば、なおのこと。母親である私がその精神でいる限り、子どもの未来のためにはなりません。

事実として、私が間違った形で自己肯定感を高めた結果(高まっていませんが。)つまり自己愛過剰な状態が、子どもたちにもそっくり受け継がれていました。

 

 

そんな考え方となっていたからこそ、私のことを想い伝えてくれる悠馬さんのメッセージを素直に聞けなくなっていたのですよね。

彼は決して私を陥れようなんて思ってもいないのに。

「どうして私のことを責めるのだろう」
「自分の意見を押し付けるのだろう」
「考えの違いを認めてくれないんだろう」

そんな風に思っていました。

 

 

それに対し「そんなあなたの考えは、間違っていますよ。問題ですよ。」と提示してくれたのがメタトロンです。

 


 

 

私が「今の私のままで大丈夫」「今の私を受け入れて」と強く思った時のメタトロンの感情がこちらです。

 

これは2020年1月24日の測定結果です。

この背景に当たる事象はこちらのブログで綴っています。

 

共感による自己肯定は、問題解決には繋がらない

 

東京の占いの館で、ダイさんという占い師に、私が共感してもらったことで、自分の問題を問題と認識しない状態となりました。以下、ブログ内から一部ピックアップします。

 

何が私の心に刺さったのか。それはダイさんが私の想いに共感してくれた時でした。どんな言葉で共感されたのかすら明確に覚えていないのですが、おそらく悠馬さんの思考の深さ、その速度はあまりに常識から外れている、彼はそうゆう人、それに巻き込まれたらいけないよ、みたいな言葉だったと思います。

そしてそこで涙を流した私は、それだけで心がすっきりとし、まるで悩みが解決したような爽快感すらも覚えていました。もちろん実際には解決していません。

 

パートナーシップでの悩みを、「私と彼は違う人」といった、よく言われる文言で納得し、むしろ涙を流していた。そうして本来の自分の問題に向き合うことなく、今の自分自身の状態を正当化しました。

 

これが愛知で子育てお母さん向けに活動していた時の私の歪んだ精神そのものでした。

「ありのままの私を受け止めて」という精神。

 

 

それを悠馬さんから、そこが私の問題だよね、と指摘された時の私の感情です。

 

自分の問題が改めて浮き彫りとなったこと、それが私は恥ずかしかった。

特に私たちは、あの時の私の精神が子供達に悪影響を及ぼしていたことを認識し、再三話してきたにも関わらず、また同じ精神に戻っていたのです。つまりこれは心の底では私はまだ、自分の問題を認識していなかったということ。

 

そんな自分を隠すため、無意識に自分を正当化していました。

「どうして私が責められなくちゃいけないの?」
「今の私をどうしてそのまま受け入れてくれないの?」
「私も頑張っているのに、どうして否定されなくちゃいけないの?」
「人はそれぞれ考え方が違うのに」

そんな気持ちになったことを覚えています。

 

それを、メタトロンは「傲慢」と判断しました。

 

 

「不平不満」は、悠馬さんが私の主張を受け入れてくれないことに対してだと思います。

 

辻褄が合わない主張をしているにも関わらず「意見が違うだけ」という自分を守りたいための主張をしているから、受け入れてもらえない。

 

そうして不平不満がたまり、不当な扱いを受けていると思い込み、怒っている状態が「義憤」

それに対し、何とか自分の問題から目を背けたいために間違った「勇気」の使い方。

 

 

この感情を見た時、正直、衝撃でした。

私は個性の尊重を履き違えていた。

本気で私のことを想う人の声すら聞く耳を持たず、自分を主張していただけだった。

 

まさに傲慢な状態。

 

こんな不健全な感情を抱えている状態では、大切な人と問題が生じるは当たり前です。

 

 

この一連のことが私にとっては大きな契機となったのは事実です。

 


 

今回のブログで最も伝えたいことは「ありのままの自分をそのまま肯定することは問題」ということです。

 

自分の問題を克服していくことが健全で、そうして精神を成熟させていくことが人生です。それは大人も子どもも同様です。

 

私はありのままで大丈夫ではなかった。それは前回のブログからも明確な事実です。

そして自分を否定し、問題を見つめた今、ようやく人として成長し始めたと思えています。もちろん、ここだけで判断はできませんが、少なくともメタトロンで傲慢が測定されたのはこの時だけです。

 

 

自分に問題があるからこそ、自己肯定感が低くなる。

そんな自分に自信がもてないのは当たり前。

だからこそ周囲の人の言動に敏感になる。

自分が顕となるのは恥ずかしく、問題を指摘されることに過度の恐怖心を抱く。

その恐怖を植え付けた相手が問題という責任転換し始める。

 

 

では、それを打破するためには?

自分に自信が持てるように、精神を成熟させていく。

それは自分の問題に向き合い、葛藤し、乗り越えていく。これしかないのですよね。

 

 

でも、過去の私は不健全な形で自分を自己肯定していた。

 

「自分を否定するなんてやめて、自分を好きになろう。」

「弱い自分を愛してあげよう。」

「もう十分、頑張っている。」

 

 

そんな仮面の対象療法を続けると、どうなるのか。

 

それが「自己愛過剰」状態を作ります。無条件に私は愛される存在と思い込み、愛さない相手に問題があると思い込む。

自分の問題を指摘されることに過剰反応し、素直に受け入れることができない。

 

 

「母親が自分の人生を生きることが子どもの幸せ」と言われたりもします。

 

確かにその通りです。でも、自分の人生を生きるとは、自分の精神的な問題にも、心の闇にも向き合い、葛藤を乗り越えることで、本当の意味での自分の人生を生きることができる。

 

それを、母親がやりたいことをやる、遊びも仕事も我慢しない、という短絡的に切り取ることが、まさに自己愛過剰な状態です。相手を思いやる気持ちが欠けた状態で成り立つ関係は不健全であり、パートナーシップや子育てで不協和音が生じるのは当たり前です。

 

 

健全な自己肯定感を高めるためには自分の精神を成長させていく。その結果、自然と高まっていく。

それを不健全な形で高めようとすると、単なる自己愛過剰な状態、ナルシシズムとなる。

 

この違いは非常に重要です。

 

過去の私は自己肯定感が高いのではなく、単なる自己愛過剰な状態でした。

この事実を受け入れることが、正直、どんなことよりも苦しかったです。

 

でも、メタトロンが当時の精神となった私を「傲慢」と評価。

完敗です。(むしろ乾杯。)

 

 

この精神状態の私から生まれた子どもたちへも、自己愛過剰な状態が影響しています。

 

私が健全な形で、自己肯定感を高めていく。

そのためには、自身の問題を認識し、過去の自分を殺し、再生していく。

母親として、自分の人生を生きる姿を見せる、まさに今、自分と戦っています。

 

 

 

この自己愛過剰な状態の人は、今後、ますます増えていくと思います。

「自己愛過剰」という言葉のイメージだけだと「過剰な自己賛美の状態」という印象を持つかもしれません。

 

この「自己愛過剰社会」の本でも、アメリカでの自己愛過剰な状態は過剰な自己賛美として問題視されています。

自己愛過剰社会

ジーン・M・トウェンギ (著), W・キース・キャンベル (著), 桃井 緑美子 (翻訳)

 

一部引用します。

「それはとてもよいことのつもりだったのである。アメリカの文化は人生をより充実させるものとして自己賛美を奨励する。自分で褒めたくなるような自分であれば気分がいいし、毎日を楽しく暮らせるだろう。自分を信じていれば一度の失敗など気にせずに挑戦しつづけられる。」

「しかし、本来はよかれと思って売り込まれた自己賛美は、困ったことに一線を超えてナルシシズムの域に入ってしまうことがあるようだ。」

「アメリカ人は自分を賛美したい気持ちが度を越してしまった。私たちは自尊心とナルシシズムの区別もできず、アメリカは憂うべき状況になっている。」

「アメリカは自己賛美という万能薬を服用しすぎて、もはや傲慢や自己中心などの深刻な副作用が現れている。」

 

 

日本の場合も過剰な自己賛美はSNSの世界には溢れていますが、自分を弱い人間であることを主張することでマウントを取る、という形での自己愛過剰な状態の方が多いと思っています。

当時の私もまさにそうでしたし、HSP(Highly Sensitive Person)と主張する方が近年増えていることも同じ問題だと思っています。

 

そこについて、次の記事で綴っていきます。

 

「罪悪感」の本質は、マウンティング女子

藤原 悦子お薬に頼らない子育てを応援

看護師として10年、大学病院で勤務。救命科での勤務時、自身の体調不良をきっかけに自然療法の世界に出会う。また、幼少期からのアトピー性皮膚炎に長年ステロイド薬を使用していたが、薬では症状の根本改善しないことを実感。長女の出産をきっかけに薬に頼らない生活に徐々にシフト。身体のメカニズム、自然療法などの学びを深め、子育てお母さんへ向けた講座を開催。現在は自給自足へ向け畑で汗を流し、小学1年生、年中、2歳の子育て奮闘中。2020年よりメタトロンセッション開始。

藤原 悦子ブログEtsuko's Blog

お薬に頼らない子育てを
目指すママへ

藤原 悦子お薬に頼らない子育てを応援

看護師として10年、大学病院で勤務。救命科での勤務時、自身の体調不良をきっかけに自然療法の世界に出会う。また、幼少期からのアトピー性皮膚炎に長年ステロイド薬を使用していたが、薬では症状の根本改善しないことを実感。長女の出産をきっかけに薬に頼らない生活に徐々にシフト。身体のメカニズム、自然療法などの学びを深め、子育てお母さんへ向けた講座を開催。現在は自給自足へ向け畑で汗を流し、小学1年生、年中、2歳の子育て奮闘中。2020年よりメタトロンセッション開始。