共感による自己肯定は、問題解決には繋がらない

先日、原宿の占いの館に行ってきました。その占いを通して感じたことを綴りたいと思います。

長くなったブログですが、結論はタイトル通り「共感による自己肯定は、問題解決には繋がらない」です。なぜ、その結論となったのか。これは私の中でとても大きな気づきで大切なことだと思っています。お読みいただき、何かを考える機会となりましたら嬉しいです。

 

今回、占いの館に足を踏み入れた私。

 

何を相談したかったのか。建前は色々とありましたが、結局はパートナーシップについての相談がメインとなりました。

今回、お世話になった占い師はダイさんという方。先日悠馬さんがダイさんの占いを受けたので、ダイさんは悠馬さんのこともご存知です。

 

パートナーシップというと悠馬さんとのことになるのでブログで何を悩んでいるのか書くことに躊躇するところもありますが、具体的な例を出さないと主旨が伝わらないと思うので書きたいと思います。

■彼の思考のスピードが速すぎてついていけない自分
■サポートをするということと自ら能動的に動くことが曖昧になっていた

その結果、問題を勝手に生み出したり、生じたりしていました。

 

そもそもの話、彼は決して自分と同じことを私に求めてきたことはありません。私が勝手についていけないと自分を卑下していただけでした。

責任を持ち自分の意思のもとでのサポートは能動的ですが、単に受動的なサポートではその中身が変わってきます。その結果、自分の意思が薄くなっていましたし、責任感も薄くなっていました。それが仕事や子育て、生活にも反映され、だからこそ問題が生じていた。

とういうことで、パートナップの問題といっていますが、結局自分の問題であることは明確だったと今となればわかりますが、その時はわからなくなっていました。

 

ダイさんの占いが始まり、一定の時間が経過した時、私は涙を流しました。涙を流すということは、心の奥底に何かが刺さった時だと思っています。

 

何が私の心に刺さったのか。それはダイさんが私の想いに共感してくれた時でした。どんな言葉で共感されたのかすら明確に覚えていないのですが、おそらく悠馬さんの思考の深さ、その速度はあまりに常識から外れている、彼はそうゆう人、それに巻き込まれたらいけないよ、みたいな言葉だったと思います。

そしてそこで涙を流した私は、それだけで心がすっきりとし、まるで悩みが解決したような爽快感すらも覚えていました。もちろん実際には解決していません。

 

この時の私の状態を今考えてみると、非常に問題だと思っています。何が問題だったのかは以下です。

 

①「共感すること」で問題は解決するのか?
②共感されたことで私がこんなにも快感を覚えたのはなぜ?

 

まずは①の「共感することで問題は解決するのか」ということについて考えていきます。

そもそもの前提として「相手に共感すること」「相手を理解すること」は全く別のものです。

でも私の中で、ここが混合していることを、今回自覚しました。

特に女性の方が、共感された=自分を理解してくれた、と短絡的に考えやすいように思います。

 

 

「共感すること」を「善いこと」と定義した場合、「共感しない」という行為が「悪いこと」となります。

共感を求めている時というのは自分のことを正当化したいということが主たる目的だと思うのです。

反対に、共感されないと納得できない。共感してくれない人や、その意見を受容できない。なぜ?それは「自分」を受け入れてもらえないと感じるから。

受け入れてもらえないとどうして納得できないのか?自分を否定されたような感覚になるからではないでしょうか。

その「行為」に対して共感していないだけなのに、それはまるで「私」という存在そのものを否定されたかのような勘違いを起こしてしまう。だからこそ共感されなかったことを過度に苦しく捉えてしまう。

その結果、そこから逃れるための対症療法として「私」を傷つけた相手に問題があると思い込み始める。

■あの人は私に共感してくれない冷たい人
■共感しない、その人自身に問題がある(性格など)
■私には問題がない

 

今回の占いで、私は共感できることが能力、とも言われました。

私はまだまだホロスコープの読み方を理解しきれていませんが、6ハウスに魚座の金星と火星が在籍しており、もちろんそれらだけでは何とも言えませんが、無意識に相手に共感しているところがあると思っています。

DC側に天体が多いこと、特に個人天体が多いことも影響していると思います。

 

 

共感って、一見、気持ちがいいんですよね。それはお互いにとって。共感する側も、される側も。

「あなたのその考えに同調しますよ」
「あなたはそのままでよいですよ」

「あなたには問題がありませんよ」

と言ってもらえているようなもの。そう否定がない。共感された方は気持ちがよいです。

 

では共感した側はどうか。

共感した側もやっぱり気持ちがいい。なぜか感謝されたり肯定的に捉えられることが多いのが共感した場合です。そしてなぜか「私のことを理解してもらった!」と相手は勘違いを起こす

私もそうでした。目の前の人のことを理解できると勘違いしていた自分。相手からは感謝される。そうして間違いに気付かない。

そうして出来上がってしまった自分の価値観を否定されると、なかなか受け入れることができない。

なぜ?共感すること=善いことという定義が出来上がっていたから。

 

 

それで問題は解決するのか?
もちろんしません。だからまた同じ問題にぶつかる。
いつまでたっても人として成長しない。

 

 

よく、男性と女性の脳の違いで説明されることがあります。
■解決策を見出したい男性
■ただ話を聞いて共感してほしい女性

もちろん、こういった側面はあると思います。共感することを否定しているのではありません。

ただ、本質的に問題解決をする場合、共感がゴールとなってしまっては問題は解決されないと思います。

 

 

では、本質的に問題を解決するためには、共感ではなく、どう関わるとよいのでしょうか。

それは「相手を理解すること」だと思います。

その結果、目を背けたくなるような自分の問題に向き合う必要性も出てきます。

 

これは非常にエネルギーを使います。提供する側も、される側も。ただ共感するとは雲泥の差です。

そこには今の自分の考え方(行動)の否定が伴うことが多いからです。

これ、冷静に考えれば当たり前なんですよね。だから問題が発生してわけであり、そもそも否定されることのない人なんて誰一人としていないと思います。でもそうして自分の問題をようやく認識できる。

 

「問題を認識し、今後の人生で改めていく。以上。」

というのが健全な状態だと思っています。

 

と書くのは簡単ですが、ここに至るまでに抵抗が生じるケースが非常に多い。

ベースに上記した「共感=善いこと」が存在しているからだと思います。私もそうでした。その抵抗があるからこそ、そもそも問題を問題とも認識できない。なぜならばそれは自分を否定することになるから。

問題と認識できなくて、改善しようと思うでしょうか?

思わないですよね。

 

で、同じ問題にまたぶつかる。

一時的な対症療法でやり過ごす。

その後も、パートナーシップや子育て等で問題が生じるのは明白です。

 

 

そもそも、共感って一体なんでしょうか。

ということで、②共感されたことで私がこんなにも快感を覚えたのはなぜ?について考えていきたいと思います。

 

共感って本来は非常に難しいものだと思います。ましてや立場や状況が違う人のことを本当の意味で共感するというのは簡単なことではないはずです。

ただ、SNSが普及した現代において、この共感というものが軽視されたり乱用されるようになったり、また過度に意味を持つようになっていると思います。

私もSNSを使用しています。

やはり投稿したものに対し、いいねの数が多少なりとも気になる自分がいます。いいね、を押してもらったら「共感してもらった」と肯定的に捉えている自分がいる。

ここからも「共感=善いこと」となっている自分を自覚するのですよね。

 

繰り返しとなりますが、共感することは決して悪いことではありません。でも、そこには問題が孕んでいることを認識することも必要だと思います。

その問題と思うこととして

■共感には偽装が存在する
■共感するべきところではないものにも共感してしまう
■共感されることで私はそのままでよいと誤解する
■自分は被害者だったという認識すら生まれる
■共感することが問題解決のゴールではないのにゴールと誤解する

 

SNSの存在も後押しし、共感することで何となく同じ考えの人が集まった、小さな集団ができあがったと思います。一見、インターネットという開かれたような世界に見えて、実はとても狭い世界の中が自分の居場所となり始めた。

そこの世界は何となく居心地がいい。なぜならばお互いに同じ感覚の人ばかりいるから。

同時に、共感すべきところではなくとも、みんなが「いいね」と言っていることで自分も「いいね」と言ってしまうことよくあるのではないでしょうか。そうやってお互いに同じ思いであるということを認識し、安心感が生まれる。

 

SNSの影響も多少はあると思いますが、なぜ人は共感を求めるのでしょうか?

それは「承認欲求」に基づくものだと思っています。

つまり、
■自分を認めてほしい
■今の自分のまま認めてほしい
■自己肯定感が大切、高めよう

こういったところがベースにあるためだと思います。これ、今の時代の流行りの考えな気がします。

共感はこういったところを強力に後推しする力がある。さらに「あなたは被害者なのよ」という意識さえ生み出すように思います。

その結果「私はこのままでいい」「私は悪くない」という問題のすり替えが起こり、それまでのストレスが軽減されて快感をもたらすのだと思います。その爽快感ゆえに問題が解決されたとの錯覚を起こす。

 

 

そして、この「ありのままの自分で大丈夫」を後押しするのがホロスコープを単純に解釈することだと思います。私の周りでもたくさんの方が活用されているエレメントマトリックス®︎や星座別取説みたいなものです。

 

本来のホロスコープというものは非常に奥深く複雑な理論です。エレメント(4元素:火、土、風、水)だけでは何も判断はできません。もちろん、サイン(各12星座)だけでも判断はできません。

その単純なホロスコープの理解が

■みんな違っているのが当たり前
■こうゆう性質の私(or子ども)だから、このままでOK

という謎の自己肯定感を生み出す要因となっていると思います。こうして、また自分の問題に気づく機会が遠のいていく。問題と認識することができなくなる。

今回、私もそうなりかけていました。「私はこういった人間だから仕方がないよね」という安易なホロスコープの解釈。

さらに、そんな単純な思考で目の前の大切な人を理解したと勘違いする。我が子のことを理解できていると勘違いする。そもそも人の心を4つに区分して考えることが間違っています。

その結果どうなるか?

そりゃ関係性に問題が生じますよね…

男性と女性の違い、という単純な思考も同じ問題を生み出すだけだと思っています…

 

 

話を戻します。

本当の意味での問題解決に向けた時、中身のない共感は解決どころか、むしろ逆効果の可能性も含んでいます。でも、一般的な心理カウンセリングや占星術の世界ではそういったものが「善いこと」とされている印象があります。

自分の問題に向き合うということは、それまでの歪んだ自己肯定感自己承認欲求が深ければ深いほど、エネルギーを要します。

 

そしてそういった問題解決の機会を提案する側は楽なのか?

もちろん楽じゃありません。感謝されるどころか反感の気持ちも生じさせる。それで商売をしようとすれば正直厳しいと思います。

その結果、共感することがカウンセリングという世界の主軸となっていく。

 

でも、それは本当の意味で誰のためとなるのでしょうか。本当の優しさとは?相手のことを理解するとは?

 

さらに問題に向き合おうと決めても、自分が向き合うのが苦しいのを、私がんばっている!と勘違いを起こしてしまうという^^;

その苦しさは誰の責任でしょうか?そんな歪んだ感情を持って生きてきたことで誰が本当に辛いのでしょうか?

自分?
パートナー?
子ども?

 

 

私自身の今回の気づきに至ったきっかけは、こういったことを当り前のことして考え、行動してきた悠馬さんの生き方を間近で見てきたからです。

誰もがその人それぞれであるのは当たり前です。そんなことエレメントなど知らなくても十分です。

でもみんなそれぞれだからといって「そのままでOK」「なんでも受容する」ではないはずです。

本来のホロスコープは自分自身を肯定するだけのツールではありません。個人の能力を社会へどう活かし、他者へ貢献していくか。そのためには乗り越えるべき困難や障害がある。

そこを認識するか否かでその後の人生が大きく変わると思っています。

 

 

繰り返しとなりますが共感すること自体が決して悪いことではありません。その人の状況によっては、まずは立ち上がるために必要な時もあると思います。お互いのコミュニケーションのために必要なことでもあると思っています。

ただ問題を解決する場合はどうですか?というところをこのブログで綴りました。

 

私自身ようやく認識するに至り、ここがゴールではなくスタートです。ここから行動を伴わなくては結局のところ意味がありません。

今までのような中身を伴わない共感に重きを置くことなく、目の前の方にとって本質的に大切だと思うことを選択していきたいと思います。

 

 

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藤原 悦子タイムウェーバー 心理分析
看護師

看護師として勤務時、自身の体調不良から自然療法の世界に出会う。また、幼少期からのアトピー性皮膚炎に長年ステロイド薬を使用していたが薬では症状の根本改善しないことを実感。長女の出産を機に薬に頼らない生活に徐々にシフト。身体のメカニズム、自然療法などの学びを深め、子育てお母さんへ向けた講座を開催。全ての問題の根源は意識であることを認識しメタトロン測定会、タイムウェーバーセッションを実施中。現在はICU看護師の世界に身を置き、西洋医学、代替療法、いずれにも偏らない視点を目指す。週末は畑生活。小学4年生、2年生、年中、0歳児の4児母。

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