以前のブログで、コロナ感染の原因と、男と女の関係について綴りました。
自己愛とナルシシズム、利己主義について考えてみたいと思います。
上記のブログ内で引用したのがエーリッヒフロムとジョングレイです。
エーリッヒ•フロム/ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者
ジョン•グレイ/アメリカの人間関係カウンセラー、講師、作家
私と2人のホロスコープの関係について分析した記事を悠馬くんが綴っています。強く影響を受けたり、深い関係となる人と人との関係には、必ずサビアンシンボルの軸と軸の重なりや、スクエア関係が存在しています。
ジョングレイは数々の本を出版されています。その中で私が読んだのは2冊。
前回のブログを綴った時に読んだ本はこちらです。
私が客観的思考を失った時、この本に救われたという感情を抱きました。
なぜ「救われた」という気持ちになったのか。
それはジョングレイの本を読み「解決策を手に入れた!」ということではなくて、自分自身の状態に共感してくれたように感じたからです。
本に限ったことではありませんが、自分自身の精神状態や、人生のステージによって、何かを受け取ったとしても、捉え方や感じ方は大きく変わりますよね。
ジョングレイの「ベストパートナーになるために」は、女性、男性、それぞれの思考の傾向について綴っています。
そこから私は以下のような意見を前回のブログで書いてます。
■私の考え方は女性的な考え方
■私の考えは理解されない人からは理解されなくて当然
■でも自分の考え方を否定する必要はない
■でも、自分を正当だと振りかざすことでは男女の関係性は解決しない
■自分と同じ考えの人に話しても「私は正当」だと増強させる
■男女の関係性を修復したいのならば、今の自分の状態を認識すること
この本の数年前に出版されたこちらの本。
「ベストフレンド、ベストカップル」
この本でも女性と男性の考え方について、このように綴られています。
「すべての男性、すべての女性には男女両性のエネルギーがある。私たちは男性エネルギーと女性エネルギーの両方がなくては生きられない。人間関係で経験する問題の多くは、この相補う力の内なるアンバランスが原因だ。(P44)」
先の本は「女性、男性」と区分しているように感じました。そうしないとわかりにくいということかもしれません。
本来は、自分の中にいずれの要素もあり、自分の中で男性性、女性性、いずれも発達させることが必要だということです。
これはエーリッヒフロムも同じように述べています。
悠馬くんと衝突している時は、自分の中の感情を抑えることができず、論理的に考えることは不可能な状態となっていました。
むしろ、論理的に話そうとする悠馬くんに対し、それが問題だと指摘し続けていました。タイムウェーバーも占星術も否定という形で。
その状態の時には、フロムの思想は私には心の奥底に届くことがなかったのです。「わかってはいるけど、それが出来ないから悩んでいる!」状態。
その状態で、自分の考えを「あなただけではないですよ。女性はそういう生き物ですよ。」と共感してくれるジョングレイの言葉は救いのような感覚となりました。
ただ、この思考は注意が必要だと思っています。
病院で勤務していると、自分の鏡のような現実を目の当たりにします。
ICUだからか、男性の看護師も多い環境です。看護師以外のスタッフは医療現場は男性が多いです。
男性がジョングレイの指摘する女性のような問題を抱えるような状況も当然発生しています。「結果よりも、私の気持ちを尊重すべき!」という具合に。
でも、それは仕事では通用しないのですよね。
私は「仕組み」を知ることが本当に大好きなんだと、看護の仕事を通して実感しています。患者さんやご家族との感情的な関わりもやりがいを感じますが、仕組みを理解した時に満たされる自分がいます。それが看護に繋がるからです。
20代の頃の看護師をしていた頃の私のやりがいは、患者さんから感謝をされることでした。確かに病棟看護師ならばそれは大きな原動力となると思います。
でも、それだけでは常に他者が必要となります。
それが過剰となったり、自分に何も誇れるものがなくなると、その他者評価がないと不安で仕方がなくなる。他者評価が自分の価値となっていく。他人の目ばかりが気になっていく。
もちろん仕事ならば、相手がいてこそなので自分だけの満足では成立しません。
でも、自分の誇れることがない状態で、他者から「イイネ!」をもらっても不安定な気持ちは消えなくて。
そして他人との関係性が歪んだものとなっていく。
その結果、その満たされない気持ちを他人に求めてしまう。
特に近い存在に。私は悠馬くんに求め続けました。
他者といることの目的が「自分」の欲求を満たすためとなったとき。
それが自己愛過剰な状態なのだと思います。
ジョングレイの本に救われた気持ちとなったのは事実です。
私の感情的に陥っている側面を、女性ならではですよ、仕方ないのですよ、そのように肯定してもらったような気がしていました。でも、物事を解決しようと思った時に、ましてやそこに仕事が含まれた時に、それだけでは一時的な解決にしか至らない可能性があります。
ここでジョングレイの理論を持ち出すと、相手のその感情を理解する必要がある、ということになります。
でも、相手の理解に努めることは必要だと思いますが、そこばかりを重要視していて、全体としての生産性や各々の能力が高まるのか。
そこは疑問が残ると思うのですよね。
これを夫婦関係ではどう考えるか。
自分自身の感情だけを頑なに譲れない状態というのは、女性的と肯定していいのか、もしくは利己主義、自分の利益を考えているだけなのか…。
その境界線が私は曖昧となっています。
自分の感情を無視してはいけない、でも、この感情を肯定していいのか、でも、否定すると自分自身の否定のように感じ、それでは腑に落ちない自分がいる。その消化できない想いを悠馬くんへの憎悪という形に変えてぶつけてしまう。
ここにヒントをくれたのがエーリッヒフロムです。
フロムは「愛するということ」の中で、愛の対象について語っています。
その中に、自己愛という項目があります。自分のことを愛するとは罪、という考え方に対して、それは間違っていると。むしろ自己愛が欠如しているため利己主義になっているのではないかと綴っています。
エーリッヒフロムの「愛するということ」より抜粋します。
「もしある人が生産的に愛せるなら、その人は自分のことも愛している。他人しか愛せない人は、愛することがまったくできないのである。」
「利己的な人は自分にしか関心がなく、なんでも自分の物にしたがり、与えることには喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。利己的な人は外界を、自分がそこから何を得られるかという観点からしか見られない。他人の欲求にたいする関心も他人の尊厳や個性に対する尊敬の念ももたない。利己的な人には自分しか見えない。自分の役に立つかどうかという基準ですべてを判断する。そういう人は根本的に愛することができない。」
エーリッヒフロム「愛するということ」P96
フロムは「他者への愛と自己愛とを分割することはできない」と述べています。
自分自身を愛していないと、他者を愛することもできない。
でも、この「自分自身を愛する」という自己愛が、単なるナルシシズムでは?と混合しがちになる。私自身を通しても、自分の感情を大切にする、と主張する状態は、自己愛ではなくナルシシズムだと今は認識しています。
下の図は「自己愛」「他者への愛」「利己主義」「ナルシシズム」をフロムが提唱していることを参考に、私なりの解釈を図で表してみました。
自己愛が過剰となった状態は、それは自己愛ではなくナルシシズムの状態だと解釈しています。
それが「利己主義」という状態なのだと思います。
自己愛過剰=ナルシシズム、利己主義となると、相手に求めるものが自分基準ばかりになってしまう。
そして、感情的になればなるほどに自己愛過剰=利己主義に陥る自分がいるのは事実です。
結論として、男と女の関係、パートナーシップ、夫婦関係でも、女性的に偏りすぎることなく、男性的に、客観的に考えることは必要で。
それは決して、感情的になっていることを否定するのではなく、「感情的になっている」ということを自覚し、それについて冷静に考えられるように、そこを目指さなくてはならないと思っています。
その時の客観的指標となる一つがタイムウェーバーです。
人と深いところで繋がろうと思うほどに、自分自身の内面の奥深くと向き合うことになります。
その時に私は「怖い」という感情が湧き上がります。
でも、そうして「怖い」と自分が思いたいという欲求があるのだと思います。
言い訳ができるから。
「私は大変だから、自分のことだけ考えていていいのです。」という言い訳です。
そんな状態を「HSP、繊細さん」など、さらに肯定するのが現代です。
それは自分を愛していない、大切にしていないようで、実は自分のことしか考えていない、利己主義に偏っている状態なのかもしれません。
そのような状態を「自分を愛する」「自己愛」だと思い込んでいました。
タイムウェーバーは客観的に意識を分析してくれます。
利己主義ではなく自己愛を育むためには、自分の内面に向き合わないわけにはいかないと思います。
でも、葛藤しているとき、悩んでいる時は自分のことは冷静に考えられなかったりします。
そうではなくても、他人のことは客観的にみえても、自分のことは思い込みに支配されがちなことは誰にでもあることだと思います。
その時にタイムウェーバーは大きな助けとなります。
タイムウェーバー セッション、4月枠受付中です。
自分自身の内面の奥深くと向き合った時に、その時に私は「怖い」という感情が湧き上がります。それが怒りにも繋がっていく。そこについて次は考えていきたいと思います。