2回目のコロナに感染した原因ー男と女の関係を考えるー

1月末にコロナに感染しました。

その原因、タイムウェーバーの分析結果を私も書きたいと思います。

 

1月19日、少し熱っぽく体温37度台、関節痛もあり。

翌日20日は病院勤務。最近は発熱があったら必ずコロナの検査&48時間は勤務してはいけないルールとなっているので、医療用の検査キットで検査することに。

…陽性確定。1週間のお休みと、子どもたちも濃厚接触者として5日間の自宅待機。

 

ただ今回は2回目の感染だったからか、症状はこの時がピークで、38度以上の発熱もなく、倦怠感や咳が続く程度でした。いわゆる「ただの風邪」でした。

でも、院内でもコロナに罹患した人はそれなりにいますが、2回目の感染は数少ないです。ICUの人たちに限ると、3回目、4回目のワクチン接種をしている人たちはほとんどが感染していないのも事実です。

 

ということで、タイムウェーバーで罹患した理由を分析した結果です。

クリティカルヒットとなった結果が「タイムウェーバーセッションを始めたこと」

 

昨年の12月より、ようやくタイムウェーバーセッションを始めました。

タイムウェーバーセッションはクライアントさんご自身に分析したい内容を事前に考えていただいています。

これは分析したい内容について、踏み込みたいこと、今は踏み込みたくないこと、いずれもクライアントさんご自身に決めていただくためでもあります。

 

それでも、クライアントさんの心の中に踏み込むことになります。それは当然かもしれないのですが、心が可視化される、ということが他のセッションとは、もう天と地ほどの大きな違いです。

 

その本質的なところに踏み込むことで問題解決の糸口となると思っていましたが、私自身が自分の心が可視化されることで感情がコントロールできなくなったという事実があります。

今までもタイムウェーバーの結果を公表してはいますが、その結果を目の当たりにした瞬間は闘争・逃走反応を100%発揮。そのエネルギーを悠馬くんへの憎しみとしてぶつけ続けたのは今まで綴ってきた通りです。

 

それだけでなく他にも理由がありますが、その状態で私はタイムウェーバーを仕事として提供している。この矛盾はいいの?という課題に今、直面しています。

それがコロナに罹患した原因、という結果。

 

タイムウェーバー、やっぱりすごいです。逃げてはいけないことをこうしてずばっと指摘してきます。

 

 

そしてこちらも高い結果です。「罪の意識。」

 

何に対する罪の意識?と分析を深めた結果です。

「罪の意識。子育てが出来ない自分に。」

おぉ… これも痛い結果です。

 

実際に子育てに悩んでいます。特に長女と長男は私の鏡のごとく問題を突きつけてきます。

 

自分の意見がないのに、悠馬くんの特に息子に対する対応に対しては文句をいっている状態。その時の私の心理は「息子のため。」

でも、それが本当に息子のためなのか?ただの悠馬くんに対しての憎しみじゃないの?というのをタイムウェーバーが指摘するのです。

 

事実として、私は悠馬くんと喧嘩をしている時は息子を擁護し、仲直りすると息子に厳しくなります。これは本当に息子に申し訳なくて、私が息子のことを真剣に考えていない結果です。

当然、息子も混乱します。

母ちゃんは父ちゃんとの関係次第で自分に対する態度も変えるのか、と。とても自分への愛を感じないと思います。

 

 

「タイムウェーバーを始めたこと。」は私が分析した結果でした。それに対し「罪の意識、子育てが出来ない自分に。」は悠馬くんが分析した結果です。

タイムウェーバーの結果なのですが、私の脳内では悠馬くんが私に対し「子育てが出来ていない」とまた批判した…と受け止めてしまう。

 

タイムウェーバーを導入したことで、彼が分析すればするほどに、私の本質的な問題がどんどん明るみとなっていきました。

 

でも、私はどうしても自分を否定される気持ちになってしまう。

ここから抜け出せないから「タイムウェーバーセッションを始めたこと」がコロナに罹患する要素となったことは認めるのが苦しいですが、辻褄が合っています。

やっぱりタイムウェーバー、凄い…。

 

他にも私にとって、厳しい結果が出ます。

「嘘つきの意識。」
「恐怖の感情。」

 

男と女の関係は難しいです。悠馬くんがコロナに感染した原因のブログをアップした時、私はもう、限界だ…と思っていました。

こうしてずっと指摘されて生きていくなんてもう我慢できない、私を自由にして、と。

 

でも今、私は占星術的にも狂いやすい時なのだそうです。

といわれても、狂っている本人はそれすらも受け入れられないのが現実でした。

『夫婦関係を根本から解決するために最適な悠馬との関わり方を分析します。』

→「自分の思考が今歪んでいると認識する。トランジット的に当然の話。」
→「自分が今狂っていると認識する。トランジットの海王星とDSCの合。パートナーに悪い幻想を持つ。」

 

タイムウェーバーにも指摘されているのに、渦中の人は受け入れられない。

むしろ「狂っている勢いで離婚するしかない。」とすら思っていました。

 


 

過去にも、私は自分の問題点をブログに綴ってきました。

指摘を受け入れることが出来ない自分に問題がある、次こそは、という思いでブログを綴ってきたつもりです。

 

でもブログに綴ったことが「フィクション」「嘘つき」と言われてしまう。

私には表面を美しく飾りたい、という気持ちが確実にあります。それに対し、悠馬くんは裏表がない。

 

でも、そこまですべてをおおっぴろげにしなくても、公開しなくてもいいじゃないかー!と不満がまた爆発してしまう自分がいます。そして、そうやって爆発する自分がいけないと思っていました。

でも、もうこの繰り返しをし続けて、それでも変わることが出来ない自分がいる。

もう、このことを認めようと思います。

 

狂って思考が極端となっていた私の頭を解くために、助けとなった本です。

ベストパートナーになるために

2001年に発売された有名な本なのでご存知の方も多いと思います。

 

「男とは」「女とは」という考え方の本は他にも数多くあると思います。男性脳と女性脳の違い、など。

ただ、そういった考えに陥ることで、相手を見ずに決めつけてしまうことの方が問題だと考えていました。

男と女、という二者択一だけで人を判断するから、むしろ問題が解決しないのだと。

 

でも、自分に問題があると認めることができない私がいて、でも、なんとかこのぶつかり合うことから次のステージにいきたい。

少し距離を置いたらいいのか?近すぎるからよくないのか?とも考えましたが、それは違う。

 

距離があることで寂しさや満たされない思いに支配されたのは最初の結婚で経験しました。だから離婚に至っている。

それなのに、反対の関係でも不満を言っている。

結局は自分の内側の問題。

 

そして、自分の気持ちを抑圧せずにぶつかり合わないと、夫婦生活は満たされないものになるようにも感じています。もちろんぶつかり合い過ぎてもいけないのですが。

ぶつかることって怖い。自分の内面がどんどん押し出されます。

 

抑圧しすぎてもいけないし、かといって、子どものようになんでも感情を出し過ぎてもいけない。

そこが私はもう破綻してしまいました。

 

でも、SNSではいい人ぶりたい私はいつもいて。「表と裏が違いすぎる」と言われるわけです。でも私からすると「悠馬くんはあまりに表に、すべて出しすぎるー!」と彼が私に納得ができないように、私も納得できない。

そんな状態となっている時に助けになったのが上記の本です。

 

■私の考え方は女性的な考え方
■私の考えは理解されない人からは理解されなくて当然
■でも自分の考え方を否定する必要はない
■でも、自分を正当だと振りかざすことでは男女の関係性は解決しない
■自分と同じ考えの人に話しても「私は正当」だと増強させる
■男女の関係性を修復したいのならば、今の自分の状態を認識すること

そんなことを本を読みながら考える機会となりました。

 

本文より一部ピックアップします。

 女性というのは相手に対して「NO」と言ったり、いろいろと愛情を尽くしてもらうことに対して非常に臆病になるものである。

 ふつう多くのものを相手に要求しすぎ、その結果、拒絶されたり、批判されたり、捨てられてしまうことを、女性は恐れるものだ。少しでも批判されると、自分は相手から大切にされる価値のない人間であると思い込み、精神的に傷ついてしまうからである。

 そして、自分が愛される価値のない存在だとゆがんだ考えをもつようになった女性は、自分に自信を持つことがなかなかできない。そして「自分はどうせ相手にされないだろう」とか「自分が愛情を感じた相手に心の支えにはなってもらえないだろう」と思い始める。

 こんなメッセージを彼女から受け取った男性は拒絶されたと感じ、去って行ってしまうだろう。女性の絶望感や不信感は、彼に対して「私はあなたが支えになってくれるとは信じられません」というメッセージとして伝わるのだ。

 男性というのは本来、相手から必要とされることによって心を動かされるが、こういう態度でいかに要求されても逆に遠のいていくだけである。

引用:ジョングレイ著「ベストパートナーになるために」P24

 

 私たちは激しい恋愛感情を持つと、自動的に抑圧感が湧いてきて、一時的に愛の感覚が曇り、憂鬱な気分になる。そうすると、突然、イライラし始め、自己防衛的になって相手に対して批判的な目を向けるようになる。相手の心が信じられなくなって憤りを募らせ、要求したいことがたくさん出てきて、ついには怒りを爆発させてしまったりするのである。

 だが、こうした抑圧感は、あなたを解放し、癒すために沸き起こってくるものだ。この類の感情は過去に自分が表現できずに密かに心の中にしまっておいたものである。

 それらがようやく表面に出てきても安全だと感じられるようになった時に突然、私たちの意識の中に堰を切って溢れ出してくる。

 つまり、恋愛感情が、それまで胸の奥深くに凍結させてあった抑圧感をとかし、表面に引っ張り出したのである。そして、不安定な感情を生み出し、しだいに二人の関係をも侵食していってしまうのだ。

 しかし、もし、相手に対する愛情と信頼感を失わずにいられるならば、この不安はいつかは必ず和らぎ、消し去ることができるはずなのである。そうした不安定な感情は、あなたが愛されているという充足感を実感できるようになるのを待っていたのだ。私たちの心を、この段階でいやすために沸き起こってきたのである。

引用:ジョングレイ著「ベストパートナーになるために」P206

 

パートナーシップの関係は「相手を変えることはできない。変えることができるのは自分だけ。」というようなことがあらゆるところでいわれています。

でも「どうして私ばっかり…」という気持ちから脱却できない自分がいました。

 

私の心の欲求は「愛されたい」それだけ。

でも、このままでは愛されることはないのだという事実。やっぱり「そのままでOK」というのはパートナーシップでは成立しない。

 

そのままでOKを求めると、横の信頼関係は築くことはできない。

どこならばそれが許容されるのか、それは母と子の関係に象徴される、母性的な感覚なのだと思います。

 

あなたの存在、そのまま受け入れますよ、という母性的な安心感。でも、それだけで子育てをすると、歪みを生じさせます。

だからこそ「父性」が必要となる。「そのままでは愛されない、愛されるためには努力が必要」ということを誰もが学ぶ必要があるからです。

でも、世の中は「父性的な役割」に対し、否定的となっています。私もそうです。

 

 

エーリッフフロムの「愛するということ」より引用します。

 私が愛されるというこの経験は受動的だ。愛されることは何もない。母の愛は無条件だ。しなければならないことといったら、生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。母の愛は至福であり、平安であり、わざわざ苦労して獲得する必要もなく、それを受けるための資格があるわけでもない。

 しかし、母の愛が無条件であることには否定的な側面もある。愛されるのに資格がいらないということは、反面、それを手に入れよう、つくり出そう、コントロールしようと思ってもできるものではない。母の愛があるのは神の恵みのようなものであって、もし母の愛がなく、人生が真っ暗になってしまったとしても、どんなこともをしても自分ではつくり出せない。

引用:「愛するということ」P 66

 

 子どもを教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。(中略)父親の愛は条件つきである。「私がおまえを愛するのは、おまえが私の期待に応え、自分の義務を果たし、私に似ているからだ」というのが、父親の愛の原則である。

 父親の条件付きの愛にも、母親の無条件の愛と同じく、否定的な側面と肯定的な側面とがある。否定的な側面は、父の愛を受け入れるには資格がいる、つまり期待に応えなかったときにはその愛を失うということである。(中略)肯定的な側面も同じくらい重要である。父の愛は条件つきだから、それを得るために努力することが可能である。父の愛は母の愛とちがって、自分でコントロールできるのだ。

引用:「愛するということ」P 71

 

 フロムは著書の中で、成熟した人間は母性と父性、その両方によって人を愛する、と綴っています。

母親=母性としての役割
父親=父性としての役割

という白か黒かの役割分担ではなく、1人の人間の中に双方が備わっていることが愛するためには必要である、ということです。

子育てでも、当然、どちらの要素も必要だということです。

 

でも、私は自分自身が母性的な側面ばかりを求めていました。「私が私だから愛されるべき。」という考えが強固に存在している。

それに対し、悠馬くんからは「それでは愛することは出来ない。」と言われる。その意味が理解できませんでした。

そんな私に、「ベストパートナーになるために」(著:ジョングレイ)が理解の糸口を示してくれました。

 

 

このままでは子育てにも歪みが生じるのだと、今、この記事を綴りながら考えさせられています。

フロムの著書から再び引用します。

 

 母親への愛着から父親への愛着へと移行し、最後には双方が統合されるというこの発達こそが、精神の健康の基礎であり、成熟の達成である。神経症の基本原因は、この発達がうまくいかないことである。(中略)

 神経症になる原因のひとつは、その人の母親が、愛情はあるが甘すぎたり、支配的だったりして父親が弱く子どもに無関心なことである。この場合、その人は幼児期の母親への愛着にいつまでも固執し、大人になっても母親に依存したままで、無力感をもちつづけ、いつでも何かをしてもらいたい、保護されたい、世話してもらいたいといった、受動的な人間に特徴的な願望を抱き、いっぽう父親的な特質、すなわち規律、独立心、自分で自分の人生をコントロールする能力などが欠如している。こういう人は、あらゆる人のなかに「母親」を探す。

引用:「愛するということ」P 73

 

相手をそのまま受け入れる、ということを母性だとしても、それは何でもOKと甘やかすことでもなければ、反対に支配的になることでもない…。

 

タイムウェーバーも子育てで私にずっと指摘しているところです。でも受け入れることが出来ていない。

この状態の私が、コロナに罹患した理由にこの結果が出たことは、今ならば納得します。

 

悠馬くんの父性的な側面を理解しようとすることなく否定し続けたことは事実です。

悠馬くんのアカウントで「息子の精神的な成長のために(悠馬くんに)必要な行動は?」に対する結果です。

「悦子の支配から息子の思考を保護する。」

 

こうして綴っていると納得しなくちゃな…と思うのですが、悠馬くんと対面で話していると感情が抑えられなくなって闘争と逃走反応を起こしてしまう。

 

今、私に必要なのは自分の中の母性とは何かを考え、子育てをしていくこと。

そして仕事に対しても自分で結果を出す、という意識を持つこと。

 

最後にフロムの言葉を引用します。

母親が子どもを自分の一部と感じているかぎり、子どもを溺愛することは自分のナルシシズムを満足させることにもなる

また別の動機として、母親の権力欲や所有欲を挙げることができよう。子どもは無力で、全面的に母親の意志にしたがうから、所有欲の強い支配的な母親にとっては、自分の支配欲を満足させる格好の獲物なのだ。

(中略)

人間はこう思いたいのだー自分は創造者だ、神に創造されたという受動的な役割を超越する者だ、と。

この創造の欲求を満足させる方法はいろいろあるが、もっとも自然でしかも簡単なのは、母親が自分の創造した子どもを愛し、世話することである。母親は子どもをもつことで自分を超越し、幼児への愛は母親の人生に意味と目的を与える

しかし、子どもはかならず成長する。(中略)母性愛の本質は子どもの成長を気づかうことであり、これはつまり子どもが自分から離れていくのを望むということだ。

(中略)

多くの母親が母性愛というつとめに失敗するのもこの段階である。ナルシシズム傾向の強い母親、支配的な母親、所有欲の強い母親が「愛情深い」母親でいられるのは、子どもが小さいうちだけである。ほんとうに愛情深い女性、すなわち受けとるよりも与えることにより大きな幸せを感じ、自分の存在にしっかり根を下ろしている女性だけが、子どもが離れていく段階になっても愛情深い母親でいられるのだ。

(中略)

ほんとうに愛情深い母親になれるのは、愛することのできる女性、つまり夫、他人の子ども、見知らぬ土地、そして人類全体を愛せる女性だけなのである。

引用:「愛するということ」P 82

今、4人目がお腹にいますが、妊娠出産は確かに特別で、女性にしか出来ないことですが、それは自分のナルシシズムを満足させる要素でもあることは感じています。お産は究極の「創造」だからです。

だからこその覚悟は必要だけど、あまりに「女性はすごい、母親はすごい。」と偏ってしまうことへの弊害もあることを自分自身を通して感じます。

 

夫婦関係でうまくいくために、妻がやりたいことをやる、というようなこともいわれています。

好き勝手生きるのではなく、自分のやるべきことに自ら取り組むこと、取り組んでいる人は内面からのポジティブなオーラとなり、それが魅力となる。

「誰かのため」という前提だと「あなたのためにやっているのに!キー!」と良からぬ方向にいきますからね^^;

 

今まで人と深く対峙することから逃げていて、でも、それを経験することが夫婦の課題でもあり、喜びでもあると思います。

でも、そこに対峙すると自分の内面が明るみになる。そこで感じた違和感はきっとそのままにしてはいけないし、でも、自分を押し通しすぎてもいけなくて、融合し変化していくことが必要で。でもそれも味わって、力にしていきたい。

 

その意識が、子どもに対する私の欠けている要素となっていくのだと思います。

子育てもそんな気持ちで向き合ったらきっともっと味わい深くなるのだと思います。なんて綺麗事じゃなくて、これから子どもたちが成長するにしたがって、今のままじゃ自分の首をしめることになる^^;

 

ということで、コロナ感染の原因は?というタイムウェーバーの結果からの考察でした。

 

症状を通しての意識からのメッセージ、子育てに対する自分のあり方、夫婦関係の悩みなど、タイムウェーバーは多くの大切なメッセージをくれます。

その瞬間は受け入れ難い結果となっても、必ずそこには大切な意味があって、それは批判ではなく、人生の背中を押してくれます。

 

タイムウェーバーセッションの詳細、お申し込みはこちらです。お待ちしています。

TimeWaverセッション(Etsuko)2月

 

藤原 悦子タイムウェーバー 心理分析
/看護師

看護師として勤務時、自身の体調不良から自然療法の世界に出会う。また、幼少期からのアトピー性皮膚炎に長年ステロイド薬を使用していたが薬では症状の根本改善しないことを実感。長女の出産を機に薬に頼らない生活に徐々にシフト。身体のメカニズム、自然療法などの学びを深め、子育てお母さんへ向けた講座を開催。全ての問題の根源は意識であることを認識しメタトロン測定会、タイムウェーバーセッションを実施中。現在はICU看護師の世界に身を置き、西洋医学、代替医療、いずれにも偏らない視点を目指す。小学5年生、3年生、年長、0歳児の4児母。

藤原 悦子ブログEtsuko's Blog

お薬に頼らない子育てを
目指すママへ

藤原 悦子タイムウェーバー 心理分析
/看護師

看護師として勤務時、自身の体調不良から自然療法の世界に出会う。また、幼少期からのアトピー性皮膚炎に長年ステロイド薬を使用していたが薬では症状の根本改善しないことを実感。長女の出産を機に薬に頼らない生活に徐々にシフト。身体のメカニズム、自然療法などの学びを深め、子育てお母さんへ向けた講座を開催。全ての問題の根源は意識であることを認識しメタトロン測定会、タイムウェーバーセッションを実施中。現在はICU看護師の世界に身を置き、西洋医学、代替医療、いずれにも偏らない視点を目指す。小学5年生、3年生、年長、0歳児の4児母。