先日、末っ子が2歳の誕生日を迎えました。これは保育園で撮影して頂いた写真です。
誕生日は「お茶碗」をプレゼントしました。
左手は、頑張って指で「2」をつくろうとしてくれています。
誕生日のごはんは、参加させて頂いている畑のグループで頂いた破竹と玉ねぎ、手羽先の煮物。うちの畑の空豆。さつま芋とレーズンのサラダなど、普段通り。
巻き寿司でもつくろうかと思ってたんですけど、ちょっとふざけて反省しなかったんで、無しに。うちはこの辺、厳しいです。ケーキはもともと作るつもりもなかったですけど、食べませんでした。
でも写真の顔の通り、プレゼントの茶碗を受け取って、嬉しそうでした。その後も気に入ってくれてます。
この半年くらいの間に、凄くたくさんの言葉を覚えて、結構会話も出来るので、こちらも楽しいです。
もちろん、まだ2歳になりたて。うるせえなあって時は山ほどありますけど。
今のところ、何の心配も無いなぁと思う感じで、元気に、生き生きと、育ってます。
(もちろん、本番はこれからですが。)
冬の頃、1歳と8ヶ月。ブランコひとりで乗っても結構平気。そして、手を貸さずとも、ひとりで勝手に降りる。
何をするにしても、いつもチャレンジ精神に溢れていて、私たちも感心しています。
それに引き換え、上の2人。最近、完全に退化してます。
特に2番目の息子は酷い。確信犯的に、赤ちゃん帰りを決め込み中。彼と暮らし始めた時から、ずっとその様子は見ていますが、最近ますます悪化。
こういう時によく「ありのままの子供を認めて、愛してあげましょう」とか言いますよね?
非常に漠然とした言葉なので、受け取りようによっていくらでも解釈は変わりますが……
長女は4歳まで、2番目の息子は2歳まで、叱られた事がほとんどありませんでした。端的に言えば、「ありのままでOK」な感じで、人生の最初期段階を歩んでいます。
私が最初から育てている末っ子は、段階に応じて、愛して、そして同じだけ叱って(これも愛ですが)、育ててます。
末っ子と、上の2人、どちらが「厳しく」育てられたかと言えば、明らかに末っ子。
しかし叱られながら育った末っ子の方が、自己肯定感があり、楽しく生きているのは、見ていて明らかです。上の二人には、自己愛はあっても、本当の意味での自己肯定感と自信に欠けています。
この辺りは、私も彼らを出来るだけ良い方向へ導いていく事は日々真剣に考え続け、子育てに取り組んでいますが、、、育て方だけの影響でなく、「遺伝子」の影響も大きいと、強く感じるようになりました。
末っ子と、父親の違う上の二人は、明らかにタイプが異なります。彼らの血縁上の父親もまた、彼らと同じように、自己肯定感や自信に欠損しています。
これは父親の違いだけでなく、子供たちが生まれた時の、母である悦子の「精神、魂」も、大きく影響している、そんな印象も子供達から感じています。
末っ子が生まれた時、息子が生まれた時、長女が生まれた時、その時の悦子が、それぞれの子供の精神、魂に反映されているような。
息子が生まれた時から1年以上、悦子は母親向けのセミナー講師として人気の絶頂でした。
しかし、母としての精神としては、底辺にあったと思います。それはもちろん悦子も今となっては自覚していて、大いに反省しています。
その悦子の精神、魂を、息子は背負って生まれてきました。
なぜなら、母親の人生の学びの過程の中で、彼女の間違いに気付きを与えるため。と言っても、特に差し支えはないでしょう。
生まれ持ったホロスコープチャートの影響力の強さも、子供達の成長と共に、より明確に感じています。遺伝子を図面化したものと思うほどです。
しかし、、、生まれて来る時間も(もちろん子供が出来るタイミングも)、間違いなく予め決められているだろうと思わざるを得ない感覚です。
遺伝子が受け継がれるように。親にメッセージを伝えるため、予め決められた、必要なものを背負って生まれて来る。
息子は、まさに悦子に気付きを与えるための、そして、生まれてきた時は全く予想出来ない、私が父親になる事が既に決まっていて、私にも気付きと学びを与えるための、ネイタルチャートを持って息子は生まれてきたと感じています。
これは勿論、長女も同様です。
私も、血の繋がっていない長女、息子が運んできた気付きのメッセージについて、考え続ける日々です。
この話は非常に深くなるため、またじっくりとブログで綴りたいと思います。
前回の更新から丸々1ヶ月空いてしまいましたが、その間にも、書かねばならない事が山程溜まりました。
メタトロンを通して見える世界を説明するのは、論文と教科書を元にした生化学記事を書くよりも難しいので途方にくれるところもありますが、1個ずつ、片付けていきます。
来週には、次のメタトロンカウンセリングの告知、「私に「深い絶望感」を与え、「忍耐」を強いるものは、多くのセミナー受講者とカウンセリングのクライアントの愚かさ」の続きなど、更新していけるかと思います。
あれだけ書いても、精神の腐り切ったゴミクズ同然の大人達が驚くような挑戦状を叩きつけて来ますから、がっつりスパーリングさせてもらってます。
しっかりやり切って、さようならです。赤ちゃん帰りを決め込んでいるような、成長する気のないバカ大人のために、私の人生の貴重な時間を浪費するのは、もう終わりにします。
本気で自分の人生を生き抜きたい人のためだけに、私は本気で仕事をします。
で、「おとんの台所帖」ですけども、とても毎週更新してる暇がないです。
ですので、毎週更新はギブアップ、不定期で我が家の食卓を紹介させて頂ければと思います。
溜めこんだ写真の中から、春の美味しかったものなどをご紹介し、今日は終わります。
田鰻とゴボウの甘辛煮。
田鰻は、周りが田んぼの畑の水路を掘っていると、この時期出て来ます。
せっかくなので、捕まえて食べました(笑)
たけのこ掘りに同行させてもらったり、頂いたりで、もうワンサカ食べられました。薄味、シンプルな煮物は極上。
竹の子ご飯も何度食べたか。
こってりめにしても美味しい。
たけのこの時期が終わっても、淡竹(ハチク)をお隣の大家さんや、畑のグループの先輩方に頂いてます。本当にありがたい。
我が家の初収穫ニンニクを丸ごとじっくり炒め、採れたて空豆をたっぷり、豚挽肉を入れて、味付けはレモンを少し入れて爽やかに。至福の味わいでした。
一緒に作ったスープは、さつま芋、人参、玉ねぎが具材、出汁は無し。味付けは塩、クミン、コリアンダー、生姜などでエキゾチックに。ベジ料理をがっつりやってた人とかでないと、想像がつかないし説明も困難なのですが、、、かなり美味しく出来て、悦子も「野菜だけでこんな味になるの?」と驚いてました。
こういう時、長年ベジタリアンをやってて良かったと思います。少しの工夫で、野菜をいろんな方向から楽しめます。
畑のニンニク。一月くらい前。ニンニクの芽を収穫した時だったかな?
ニンニクの芽、じゃがいも、手羽元をクミンとトマト缶でエキゾチックな煮込みに。暑くなるにつれ、こういうのと白ワインが美味しくなります。
こごみの胡麻和え。山の恵みを、最高の鮮度で、いつも頂いてます、、、。
たまにはレバーも食べます。レバーは醤油とレモンで下味をつけておいて、ニンニクをたっぷり、赤ワインも加えて、ちょっと洋風なレバニラという感じ。
内臓嫌いの長女も、おかわりしてました。
副菜に、畑でたくさん採れる空豆はほとんど毎日のように食べてます。結構飽きません。
畑のグループで、玉ねぎ収穫。我が家の玉ねぎも、収穫し始めてます。
写真じゃ伝わりませんが、新玉をたっぷり入れたスパイスカレーは、とても甘くて極上でした。
また適当に更新します。